2011年12月30日金曜日

被曝しました。

場所は福島ではない。山梨の増富ラジウム温泉である。

世界でも有数のラジウム温泉ということで、指揮講習会の会場に近かったこともあり
私が是非にと頼んで寄ってもらった。私はオーストリアのバードガスタイン温泉にも過去数回行っているが、バードガスタインのラジウム温泉は日本のような温泉ではなく、トロッコ列車で坑道の奥にある高温の鉱床に行ってそのサウナのような洞窟に1時間ほど横たわりラドンを吸入する方式となっている(従って入浴はせず、後でシャワーで汗を流す程度)。

バードガスタインのラドンの量は1㎡あたり166500ベクレル(以下Bq)で増富温泉と単純に比較はできないが、増富ラジウム温泉の説明には「ラジウム含有量が非常に多いことで知られる。1リットル中の含有量は12,300マッヘとの記録もある」とあり1マッヘ≒約13.5Bqとのことなので1リットルあたり166050Bqとなる。
これは温泉の建物入り口付近の湧出口、 2.9μSv/hある。同じ日のさいたま市の放射線値0.048μSv/hの60倍以上である。
ちなみに機器はGC-SJ1を使用。
0.1μSv/h以下は測定できないので、ウィーンでもさいたまでも空間線量は計測すると常に0.1μSv/hの表示であった。


温泉に向かい、サーベイメーターのスイッチを入れっぱなしにして宿の方の説明通り温度の高い浴槽と、温度の低いラジウム泉に繰り返し入浴した。はじめに温度の高い浴槽で充分暖まってからかなりぬるいラジウム泉に入り、これを10分ずつくらい3回繰り返して、最後にまた暖かい浴槽で暖まって外に出る。飲泉もしたがはっきり言ってかなりまずい。鉄さびの味がして、少々胸が焼ける。「あんまり飲むと下痢をします」と言うことなので飲泉は100ccくらいにとどめておいた。それでももしデータ通りなら16605Bqの内部被曝である。もちろん、ラドンは数時間で体外に排出されてしまうと言うことだが。

脱衣所で着替えているとサーベイメーターが鳴り出した。見てみると64分で373.6μSvの表示になっている。1時間だと359μSv/h位である。3時間いれば1mSvの被曝。これは脱衣所の数値で、核種がラドン(Rn222) と考えられるので密閉された浴室内の湧出口付近の線量はもっと高い物と推定されるが、他の入浴客に配慮して測定は断念。



さて、私は何故わざわざこんな酔狂なことをしていると思われるかも知れない。私は原発賛成派でも推進派でもない。また、ウィキペディアによると「2005年6月、世界保健機関 (WHO) は、放射性のラドンががんの重要な原因であることを警告した」とある。また「WHO によれば、ラドンガスは空気中でラドン壊変生成物をつくり、これが呼吸気道に沈着し、放出するアルファ線により DNA に傷を付け肺がんを引き起こすとされる。屋外のラドンレベルは通常は非常に低く、屋内ではラドン濃度は高く、鉱山・洞窟や水取り扱い施設または住宅などでは高くなることがある」「アメリカ政府も WHO に準じている。ラドンの安全基準となる量については、いまだ解明されていないといわれる。アメリカの環境保護庁 (EPA) の見解によると、ラドンに安全量はなく、少しの被曝でも癌になる危険性をもたらすものとされ、米国科学アカデミーは毎年15,000から22,000人のアメリカ人が屋内のラドンに起因する肺癌によって命を落としていると推定している」との記載もある。事実なら飲泉どころか近付くのも危険である。

実は3月11日の原発事故の後、私は娘を連れて逃げるかどうか真剣に配慮した。翌週にはヨーロッパ各地から電話やメールで「金を送るからすぐに脱出した方がよい」「うちに住んでかまわないから避難するように」と沢山の友達が連絡してきた。もちろん、ほぼニュースは付けっぱなしだったし、インターネット上で収集できる情報は日本語、英語、ドイツ語の物は可能な限り収集し同じような記事でも他言語でも内容を確認した。原発の状況だけでなく、放射線や放射能に関する情報も読みまくった。3月15日、16日は念のため娘に保育園を休ませ、屋内に閉じこもった(目張りはしなかった)。しかし、最終的に「避難の必要はない。通常の生活を送ればよい」という結論に至ったのは今回サーベイメーターを貸してくれた指揮の生徒が、ドイツのバーデン・バーデンで撮影したこの画像である。

これは湧出口付近などではなく、温泉の建物近くの線量だが7.9μSv/hある。建物の中はもっと高いはずである。

もし、WHOやEPAの見解が事実ならバーデン・バーデンやバードガスタインの温泉施設の従業員、繰り返し滞在して、飲泉したりしている湯治客、付近の住民には有意に肺がんなどの増加が見られるはずである。しかし実際にはそのようなことはない。

実のところ、私はホルミシス効果にも懐疑的である。それほど効果があるならもっとはっきりとした統計学的エビデンスが出るはずである。しかし、逆の証拠もないのだ。WHOやEPAもさることながらドイツ放射線防護協会などという民間機関が食品中の摂取基準を「乳幼児~青少年まで4Bq/kg、成人で8Bq/kg以下とするべき」などと公表していることが知られている。もしその通りなら少なくとも(飲泉だけで)2000倍ほど被曝したことになる。
初めてバーデン・バーデンに行ったのは15年も前だし、それ以来何度も行って合計1ヶ月は滞在しているし行くたびに飲泉もしている(ここの水はまずくないので、かなり沢山飲む)。バードガスタインは飲泉はしないが何度か行っている。ついでに言うと私は86年のチェルノビルの事故の時ウィーンにいて、何も知らされずに1週間過ごしていた。雨も浴びた。

私は「福島で被曝したから癌になる、白血病になる、必ず早死にする、すぐに避難しなくてはいけない」と煽っている一部のマスコミやタレントには非常に不快感を感じている。確かに原発事故は怪しからんし、事故の間接的な原因を作ったのは原発を推進し、安全神話を構築してきた自民党だ。しかし、低線量での健康被害にはまだ確たる証拠は(これも遺憾なことではあるが)ない。確実なのは「癌になるかも知れない、白血病になるかも知れない」と言った不確実な情報がただでさえ避難を強いられている大変多くの人たちの高血圧や心筋梗塞、脳卒中のリスクを著しく押し上げていること、多くの子供達が不安におびえていること、不必要な中絶を考えた人たちが沢山いるという事だ。

2011年12月19日月曜日

セミナー ユーロ危機とヨーロッパの今後の展望





この写真はドイツのインフレがピークに達した1924年年に発行された100兆マルク札です。

過去30年間、ヨーロッパでの経験から見た今回のユーロ危機とヨーロッパの今後の展望、通貨、株価、不動産価格はどうなるか、政治、文化、教育はどうなるか、また投資環境や企業の進出先としてヨーロッパにはどんな将来性があるのか、東欧や北欧までを含めて生活者の視点からお話しするセミナーを行いたいと思います。

「杦山さんに是非、生のヨーロッパのお話を聞きたい」という声が多いので今回初めて、
指揮者講習会の合間に音楽以外のテーマで特別セミナーを行うことにしました。

以下の方にお薦めです。

・ヨーロッパに旅行に行きたい、留学や講習会に行きたいけれど、これからユーロはどうなるのか、政情不安は起きないのか、両替はいつしたらいいのかなど不安な方。

・ヨーロッパでの早期教育や、ボーディングスクールに子供を通わせたい、通わせているがこれからユーロ、ヨーロッパはどうなるのか知りたい方。

・円高の今、資産を外貨預金や海外の債券、金などに替えておいた方がよいのではないかと考えている方。

・円高不況で困っている、今後の方向性を模索している方、円高にもかかわらず積極的に輸出を増やしたい中小企業の経営者の方。

・円高だからこそ、ヨーロッパに進出したい、不動産に投資したいなどと考えている方。

音楽を専攻する以前、実は西洋近代史を専攻しようと考えていた私は、奇しくも1982年から足繁く当時の東独にレッスンに通うこととなり、ウィーンに拠点を置きながら東独の消滅するまでの最後の7年間を東西両方の市民の視点で見ることができました。その過程で行われた様々な経済運営上の失敗は、今回のユーロ危機にそのまま見ることができます。

二人の子供をオーストリアで育て、スーパーマーケットで買い物をし、バスや地下鉄、市電で大学に出掛けてヨーロッパ中の音楽家と共演してきた私は、毎回ビジネスやファーストクラスに乗って空港に着いたら、すぐにリムジンで高級ホテルに入り、大企業の会議室で新製品や素晴らしい経営状態についてお話しを聞かされ、一流レストランでだけ食事をされている方とはひと味違ったお話しができると信じています。

・内容 
ドイツを中心にヨーロッパの国々で1914年(第1次世界大戦の始まった年)から今日までに起こった経済危機、インフレ、デフレ、預金封鎖、様々な新通貨の導入とその成功、失敗。今後ユーロとヨーロッパはどうなっていくのか。

第1次世界大戦の終結とドイツ・オーストリア帝国の解体

戦時賠償金とハイパーインフレ

ノットゲルト(地方発行通貨)

インフレの終結、ワイマル共和国

世界大恐慌と高い失業率

ナチスの台頭と一党独裁

ナチスの公共事業と失業者の消滅

第2次世界大戦の終結と預金封鎖

東西の一方的な新通貨導入

東西ドイツと周辺国の経済成長

ドイツ統一と東西マルクの統合

共通通貨エキュー

ユーロの導入で何が起こったか?

ユーロへの不満とリーマンショック

ユーロ崩壊への道

ユーロ崩壊後何が起こるか?

1時間弱の講義ですので全体をかいつまんだものとなります。

日時

1月7日(土) 10:00~12:00

参加費

一般 3,000円 当日会場でお支払い下さい。

学生 無料(但し社会人学生は除く、学生証をご提示下さい)

場所 
新宿三丁目貸会議室 ルーム703

講師 杦山尚槐(指揮者)

2011年12月17日土曜日

杦山尚槐の語るユーロとヨーロッパの今後の展望


皆さんはヨーロッパ、特にドイツを中心とするユーロ経済圏にどんなイメージを持っていますか?「高度に発達した経済先進国」「メルセデス・ベンツやライカのカメラなど優れた技術力」「社会福祉や年金システムの充実」などを思い浮かべる方が多いかも知れません。しかしドイツは高額の所得税の他消費税は20%、年金や保険も日本と同様の危機に瀕しています。旧ドイツ国鉄のように赤字に苦しんでいる大企業も数多くあります。


(上の写真は1923年7月、高額紙幣の印刷が間に合わないため前の年に発行された1000マルク札の上に「10億マルク」と言うスタンプを押したドイツマルクです。わずか3ヶ月後にはインフレはピークに達し、下の写真の「100兆マルク」が印刷されました)。
ドイツは1923年、歴史に残る1兆1千億倍のハイパーインフレを起こし、その後1932年の選挙では「人類史上最も民主的」と呼ばれたワイマル共和国憲法の下で行われた総選挙の結果国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が第1党に、ドイツ共産党が第2党に選ばれました。翌1933年、ナチスは国会議事堂に放火してこれを機会に共産党を徹底的に弾圧し、ヒットラーは総統に就任して12年にわたる独裁体制が敷かれました。

第2次大戦後廃墟から不死鳥のように復活して再び発展したドイツは、今度は東西冷戦の最前線におかれ人口1800万の「ドイツ民主共和国」(東ドイツ)は1961年東西ベルリンの間に壁を作り始めました。壁はその後東西ドイツのすべての国境線上に築かれ、東ドイツ国境警備隊はそれを超えて西ベルリンや西ドイツに向かおうとした東ドイツ人に対しては発砲するように命じられていました。800名を超える人がこの命令の犠牲となっています。

1989年、この壁が崩れて翌年東西ドイツが再統一されてからまだ21年しか経っていません。また、1923年の経済危機からもまだ90年は経っていないのです。90年、3〜4世代の間に人類の知性や自制心はそれほど進歩するものでしょうか?

そこで、この150年間にドイツを中心としてヨーロッパで何が起こってきたのか、そしてこれからヨーロッパはどうなっていくのか、在欧30年間の経験から語るユーロとヨーロッパの今後の展望、通貨、株価、不動産価格はどうなるか、文化、教育はどうなるか、また投資環境や企業の進出先としてヨーロッパにはどんな将来性があるのか、東欧や北欧までを含めて生活者の視点からお話しするセミナーを行いたいと思います。

音楽を専攻する以前、実は西洋近代史を専攻しようと考えていた私は、奇しくも1982年から足繁く当時の東独にレッスンに通うこととなり、ウィーンに拠点を置きながら東独の消滅するまでの最後の7年間を東西両方の市民の視点で見ることができました。その過程で行われた様々な経済運営上の失敗は、今回のユーロ危機にそのまま見ることができます。

二人の子供をオーストリアで育て、スーパーマーケットで買い物をし、バスや地下鉄、市電で大学に出掛けてヨーロッパ中の音楽家と共演してきた私は、毎回ビジネスやファーストクラスに乗って空港に着いたら、すぐにリムジンで高級ホテルに入り、大企業の会議室で新製品や素晴らしい経営状態についてお話しを聞かされ、一流レストランで食事をされている方とはひと味違ったお話しができると信じています。

「杦山さんに是非、生のヨーロッパのお話を聞きたい」という声が多いので
今回、指揮者講習会の合間に特別行うことにしました。

指揮者 杦山尚槐の語るユーロとヨーロッパの今後の展望
1月7日(土)午前10時から12時まで 新宿駅近くの開場を予定しています。
参加費は3000円程度の予定です。参加を希望される方は直接ご連絡頂けると幸いです。

2011年12月11日日曜日

専門的に指揮の勉強をしたい若者はいませんか?

ベンジャミンは現在19歳。初めて私の講習会に指揮を習いに来たのは17歳の時だった。ウィーン少年合唱団でソリストを務め、ウィーン国立歌劇場やザルツブルク音楽祭での「魔笛」などにも何度も出演した天才少年だが変声期を迎えて以来スランプに落ち込んで目標を失いかけていた。しかし、今は個人レッスンに通ってオーストリアの音大受験を目指している。だが、彼のように10代で専門的に指揮を学んでみようと思う日本人は数少ない。

音楽の世界では早期教育が当たり前で、ピアノやヴァイオリンなら小学校入学前には始めないとプロには成れない、と思い込まれている(実際はそんな事もないが、何らかの楽器、または音楽自体に対する興味を10代前半までに持たなかった場合はうまく行っても愛好者の域は出ない場合が多い)。
しかし、指揮を志す人の場合20代後半くらいで専門的に勉強しようと決意する人が多い。もちろんほとんどの人はすでに器楽や声楽で音大を卒業していたり、長年学生オーケストラ、アマチュアオーケストラの指揮を経験するなどしているが、指揮も器楽や声楽と同じく、知識を要求される場合もあれば技術を要求される場合もある。指揮者に要求される知識はその基礎となる音楽理論や作曲家に関する様々な知識、歴史や美術、文学、美学、哲学、記号論、建築、宗教に関する知識などがより充実している方が解りやすいので、あまり早くから音楽の知識だけを詰め込めばいいと言う物ではないが、指揮の技術そのものと、指揮を学ぶためにはどのような音楽的技術が必要かと言うことについて言えば、なるべく早く自分の進む道を決めるに越したことはない。それに、もし将来自分の才能の限界にぶつかっても、指揮者というのは非常に潰しの効く能力を持っていなくてはならないので様々な可能性がある。

私が恩師、クルト・レーデル氏と共に指揮者の育成を始めてから15年になるが、その当時ウィーン国立音楽大学の湯浅勇次氏が「俺の門下から必ずコンクール優勝者を出す」と言っておられたので私は「私はコンクール受賞者を出すより受講生にアマチュアオーケストラや学生オーケストラ、中学生のブラスバンドでも安心して納得して演奏できる指揮者になって欲しいです」と言ったら「お前ははじめからそんな事言っているからダメなんだ!」と怒られた。確かに指揮を教え始めてからかつて他の仕事ではあり得なかったほど沢山のお礼状や感謝の言葉を頂くようになった。「今までできなかったことが突然できるようになって目からウロコでした」「生徒達が初めて揃って演奏できるようになりました」「アマチュアオーケストラから常任指揮者になってくれるように依頼されました」「初めてプロのオーケストラを指揮しました」などなどで、私も嬉しい限りである。しかし、5年ほどもすると確かに湯浅氏の門下からは続々とコンクールの優勝者が出始めたのである。
よく勘違いされている方がいるのだが、私は湯浅氏のレッスンを見学させて頂いたことは多いが、自分が湯浅氏に師事したわけではない。あのスパルタ式の厳しく生徒を罵倒するレッスンは私には無理だし、はじめのうちかなり諦めていた部分がある。しかし、今後の目標として私も門下からコンクール受賞者を出したいと思い始めた。
そこで皆さんにお願いだが、もし皆さんの周囲に指揮に興味のある青少年がいたら是非ご紹介頂けないだろうか?条件は音楽に熱意があって、何か一つ続けている楽器(または声楽)があること。

日独楽友協会の指揮講習会は社会人の参加費は12万円、25歳以下の大学生の場合8万円だが、1週間毎日約6時間の講義と実習、後半3日間はオーケストラを使った実習もあるので時間数は音大の専攻生が受ける専攻科目の授業1年分にほぼ匹敵する。私立の音大に行けば1年間で約300万、科目履修生でも数十万の授業料を払わなくてはならない。国立の場合は非常に難しい入学試験があるし、入学の段階で完璧な絶対音感、リズム感、ベートーヴェンのソナタ程度のピアノ演奏能力、無調の初見視唱や書き取りができなければ合格できない。

しかし10代で音感の固まっている学生、特に絶対音感と共に平均律がこびりついている学生にオーケストラの指揮をするための様々な訓練をすることはかえって難しい。そこで講習会に指揮を目指す若者のための特別枠を設けた。受講に当たっては音大の器楽科入試レベルのオーディションがあるが、合格すればオーディション受験料はそのまま受講料に振り替えられ、3万円のみで7日間、オーケストラも指揮して行う指揮講習会が他の受講生と同じように受けられる。

詳しくは日独楽友協会のホームページの案内をご覧頂きたい。
http://www.nichidoku.net/

ゴールデンウィークの家族旅行も良いが、もしかしたら人生を変えるきっかけになるかも知れない指揮講習会を受けてみたい、未来の天才少年は皆さんの周囲にいないだろうか?

2011年12月6日火曜日

ユーロ崩壊後のシナリオとは?(まとめ)

1.ユーロの崩壊は人類史上未曾有の金融災害になるだろうから、1929年を遙かに上回るだろうし「リーマンショックの様な」なんて比べるのはナンセンス。

2.ユーロの崩壊にあたっては高債務国から徐々に離脱するなどと言うシナリオは現実的ではなく、ユーロシステム自体が一気に崩壊する可能性が高い。

3.各国は旧通貨を復活させ最初はパリティ(若しくは旧交換率)で交換することになるだろうが復活した旧通貨は高債務国ほど急激に下落する。高債務国からのユーロの流入を防ぐために銀行間の通貨スワップはできなくなり、現金での環流を防ぐために国境が封鎖されたり、荷物検査が行われる。

4.旧通貨からユーロへの移行は十分な告知期間を以て行われたが、旧通貨の流通は1ヶ月のうちに停止され、それ以降は旧通貨を銀行でユーロに交換しないといけなくなった。ユーロから旧通貨への移行も同様な期間で行われるだろうが、移行後は最悪の場合所得証明等がないと換金できなくなるかも知れない。

5.高債務国からユーロが持ち込まれるのを防ぐために流通する紙幣には国ごとのマーキングがされるかも知れない。マーキングのない紙幣は換金を拒まれる可能性がある。

6.ユーロ導入時と違って旧通貨への移行は秘密裏に準備されるため、自動販売機や券売機、ATMのメーカーに前もって情報が伝わらず、これらが長期にわたって使用不能になる可能性がある。

こうした不安を防ぐためにECB及び各国政府は速やかにユーロ崩壊の可能性を認め、同時にプランBの詳細を明らかにするべきだ。

2011年11月16日水曜日

国家は破綻する?

「国家は破綻する」―金融危機の800年 カーメン・M ラインハート, ケネス・S ロゴフ, Carmen M.Reinhart, Kenneth S.Rogoff, 村井章子

以前から注目してたが、まだ買っていない。

私がユーロ崩壊についていつも断定的で確定論的なことを言えるのは、やはりヨーロッパ人を30年近く見て来て、1982年からこちらで断続的に10年以上暮らし、当時の東ドイツやチェコ、ハンガリーに足繁く通い、ドイツ統一、ユーゴ崩壊、ユーロ導入を目の当たりにしていること、それらを身の回りのヨーロッパ人、様々な国籍の知人がそれぞれどのように語っているか、ヨーロッパの国ごとのメンタリティと、そこから来る政治と経済のギャップを体験してきたからだ。

自分が部外者だと物事を客観的に見られる(日本についてもヨーロッパから見ていると日本にいるより客観的に見ることができる)。

1989年から90年、ドイツ統一の時、回りのドイツ人が熱狂しているのを見ていて、私は「統一自体は良いことだが、このような急ピッチで統一を行うこと、政治はともかく経済や通貨の統合を政治が介入して行うことはうまくいかないだろう」と感じた。

壁の崩壊直後、マーケットで1:20で西ドイツマルク交換されていた東ドイツマルクをヘルムート・コールは東ドイツ国民一人あたり4000マルクまで1:1、それ以上は無制限に1:2で西マルクに交換した(それまで、つまり1989年10月までは東西のマルクの実勢価値は概ね1:3.5〜1:5でそれほど大きくは動かなかった。しかし東ドイツ政府は東西ドイツマルクの公定レートを1:1としていながら、西側から輸入が必要な商品の決済は自国通貨で行っており、このことが慢性的な実勢レートの低下を招いた)。

これは完全に政治的取引で、目先の事しかか考えない東ドイツ人の多くはこの措置を大歓迎し、CDUが東部ドイツで圧勝した。私が失望したのは私の友人の多くまでが、この金を将来のために貯蓄してうまく使わないで、いきなり西ドイツ製の高級車を買ったことだ。一部は換金した金だけでは足りなくてローンまで組んで。こうした人たちの多くが数年後に職を失い、ローンも破綻したことは言うまでもないし「同じドイツ人になった」途端に将来仕事がどうなるかわからない東の人に多額のローンを貸し付けた旧西ドイツの銀行の貸し手責任は大きい。

しかも壁崩壊直後にコールの公約を見越して金儲けをしようと、大量に東マルクを買っていた人などもいて、これらの事実上紙切れになってしまった紙幣を大量に引き受けたことがその後連邦政府の大きな債務になった。また事実上10倍の労働インフレ(通貨価値+労働賃金のギャップ)に見舞われた東独地区はその生産設備の老朽化や生産性の低さ、商品の質からドイツ統一と同時にまったく競争力を失い、ほぼすべての企業が西ドイツの企業に買収され、その過程で多くの失業者を出した。慢性的にはこの状態は現在まで尾を引いている。


ユーゴスラヴィアの崩壊も、豊かで生産性の高いクロアチア、スロヴェニア地域が人口の多く政治的に主導権を持っていたセルビアを支える構造になっていたことが直接の原因になった。宗教や歴史の問題が引き金ではない。


今回の経済危機で、ギリシャをはじめとする南欧の高債務国の救済は実際にはドイツやフランスなどの金融機関を救済するために行われていることは明らかだ。しかし、ドイツやオーストリアの新聞の論調、世論、多くの国民の論調はすでに「怠け者のギリシャ人やイタリア人を我々の税金で無制限に援助しているのは怪しからん!」となっているし、逆にギリシャでは「この経済危機でドイツはいかに儲けたか」という見出しが新聞の一面を飾っている(これらはイギリスなども同じ論調の新聞が多い)。

こうした過去30年間の現象は、政治が経済に直接介入することの危険性をあからさまに示している。つまり、それらは資本主義経済の原則に反しており、実際には旧社会主義国で行われてきた様な管理された経済に他ならない。いや、行き当たりばったりに行われている点でそれ以下の政策と言えるだろう。

幸いなことに日本ではこうしたラディカルな経済への政治介入は戦後の預金封鎖の時くらいしか行われていない。

著者が第2章で言っている様に、日本の様な国内債務でもデフォルトは起こりえるだろうが、現在の日本の状況はまだヨーロッパの様には切羽詰まっていない。確かに歳入バランスは極めてよくないが、まだ解決法はあるように見受けられる。日本単独なら何とか乗り切れるくらいだ。

日本の国家財務状況が本当に悪化するまではまだ数年かかると思う。まず欧米で大手銀行の壊滅を伴う完全な金融恐慌が起こり、債券市場がクラッシュしてしまう。続けて株式市場のクラッシュ。その波を日本がもろにかぶり、輸出産業が停止してしまう、キャッシュフローがなくなり、国債の引き受け手がいなくなる、という順序で事は進むだろう。

私はリーマンショックの1年前、サブプライムがはじけた途端に「ヨーロッパの状況はもうだめだ」と思ったが、実際はECBや各国政府がその時すぐに銀行の自己資本率の引き上げなど根本的な対策を取らず、ユーロ導入によってただでさえ低調なのに「高成長」と偽って高金利政策によって世界中から資金を集めていた経済(ユーロ圏ではないがアイスランドが代表格)を続け、軟着陸を避けて引き延ばせば引き延ばすほどハードランディングになる破綻を、何と5年間も引き延ばしてしまった。

ECBもアクセル・ウェーバーのような思慮深い人は次々に去り、トリシェの様な蒙昧な老人がトップに居座り続けた。その間、銀行トップには法外な給与が支払われ続け(2007-8年のアッカーマン総裁の年俸は10億円超え!)ECBやEUの官僚には信じられない様な高額な報酬(平でも手取り月収5000ユーロ超え、その上様々なボーナス、高級官僚ならその10倍近く)免税特権、ファーストクラスのフライト、豪華な住宅などが与えられた。まるで、明治政府の高官のお手盛り給与のようだ。

これらが「格差」として各国の国民の我慢の限度を超えて目に付く様になってもう何年にもなる。

2011年11月6日日曜日

最初の授業


さて、そうこうしているうちに10月28日、最初の授業の日になった。
事務にも用事があったので早めに学校に着いたが、なかなか教室がわからない。
私が学生をしていた頃は「ウィーン国立音楽大学」ってどこにあるの?
って訊かれると「ウィーン中」とか相手の期待を裏切る様なことしか言えなかった。




私が主に通っていたのは1区のSeilerstätteだけど和声など理論の授業は同じ1区の
Singerstrasseだったけど、ピアノ科や図書館、事務手続きはLothringerstraße
オペラの授業などは14区のPenzinger Straße、オーケストラの授業とかだと最後の方はMusikvereinの舞台だったりもした。

今はSingerstrasseもあるけれど、ほとんどの授業やレッスン、合奏やオーケストラは
3区のAnton-von-Webern-Platzに移った。元々ウィーン大学の畜産学部だかがあったところだが、町中なので動物を飼うのには都合が悪くて引っ越した跡地が音大に回ってきたらしい。

それにしても古い建物を改造した本館の裏にいきなり立派な新館の校舎ができて、いったいどこからお金を持ってきたんだろうという感じ。中庭にはベンチもあるけど、どう見ても日光浴に使う様なベンチ。ちなみにご丁寧に喫煙所が設けてある。

さて、授業開始は12時のつもりだったが実際は12時15分だった。しかしお陰で最前列に席が取れる。最初の1時間は器楽の学生達と一緒で、次は指揮科の学生達と一緒だ。

授業が始まってわかったのは、はっきり言って授業の内容が極めて濃くて、レベルが高いこと。それと、実は「先週はない」ときいていたのに、21日も授業があったらしいこと(涙)。器楽の学生達と一緒の方は中世以降の器楽合奏のスタイルや使われた楽器の種類、コンセプト、楽器の特性によるアンサンブルの違いなど。

指揮科の学生達と一緒の方は、ギリシャ以降の声楽や器楽の扱われ方や音律の変化、それによる和声感、解決の仕方の違いなどだ。

学生達は古楽以外に音楽史もやったばかりだろうからよくわかっている人が多い様だが、こちらはしばらく遠ざかっている(というかそもそも初めからとばされてしまった物も多い)こともあってノートルダム楽派からアルスノヴァ、フランドル楽派などと言う繋がりが頭の中にぱっと出て来ないし「ギョーム・ド・マショー」なんていわれても"Guillaume de Machaut"なんていう綴りがわからないので、適当にノートを取る。

やはり興味深かったのはピタゴラス音律から中全音律への変化とその結果のところで、中全音律がバロック以来の音楽の発展に大きな役割を果たしていることが力説される。

ここでハーモニーディレクターでもあれば実際いろいろな音律を試しながら授業ができて楽しいのに、などと考えるのは私だけか?

ともかく、教会典礼、数学的な計算もかなり出てくるので頭がフル回転になる。
次回は古典調律の話などもされるらしい。




2011年11月5日土曜日

巨大経済圏、EUの行方

最近読んだ二つの本はいずれも2009年11月頃の出版だが、その視点は180°違う。

一つは大前研一氏の「衝撃EUパワー
もう一つは渡邉哲也氏の「本当にヤバイ!欧州経済」だ。

大前氏の主張は「超国家EU」の出現によりドルを基軸とする世界経済に大規模なパラダイムシフトが起こり、東欧やバルカンの小国までがEUの一員となることで国家や民族間の対立を越えて最終的にはロシアまでを含む巨大な経済圏が出現するというもの。その過程で基軸通貨ドルはその存在価値を失ってユーロとペッグせざるを得なくなる。

渡邉氏の本はタイトルがやや「2ちゃんねる」的なのが残念だが、サブプライムローン問題の表面化以来の欧州での経済の動きを主にブルームバーグの経済ニュースから拾った記事を並べて淡々と分析している。しかし、氏の主張はこの27年間ヨーロッパの変化を肌で感じて来た私にはより現実的なものに感じられる。

大前研一氏は「ロシアショック」でもロシアを過大評価しているように感じられたが、やはりマッキンゼー日本支社長などを歴任し、各国の顧問などを務めてファーストクラスで世界各地を飛び回り、一流ホテルに泊まってリムジンで企業や工場を視察して歩く人と、年に何ヶ月かは様々な国で現地の人たちと生活を共にし、スーパーマーケットで商品の値段を見比べながら買い物をして通勤電車に乗り、現地の銀行を使って送金をしたり、役所で長時間順番待ちをしたりする人間とでは物の見方が違ってくるのは無理もないと思った。

1969年生まれの渡邊氏はヨーロッパ在住経験があるかどうかわからないが、経済の専門家としての分析力は極めて鋭い。そもそも購買力平価やインフレ率、国の財政状況などが根本的に異なるいくつもの国が、共通の通貨を導入して国境を開放することの脆弱性をはっきりと見抜いている。

大前氏は域内貿易の割合が65%程度であるEUはユーロが対ドル、対円で高値推移しても輸出産業に対するマイナスは少なく、かえってエネルギーなどが安く調達できるとするが、ならばECBはなぜ躍起になって高金利を維持しようとしたのだろうか?ドイツをはじめとして高い失業率と不況に苦しむ各国は、通常ならば低金利政策を取って資金の流動性を高めたいところだが、それ以上にユーロ圏からのキャピタルフライトを恐れなくてはならない理由があった。

そもそも域内貿易の割合と一言で言うが、フランスやスペインなど域外への農産物輸出の多い国や、オーストリアの様な観光立国には高いユーロは何のメリットもない。 今のアパートに入居した2006年の秋、何もなかったキッチンに友人から譲ってもらったガス代+オーブンが届いた。Boschの製品だがなぜかオーブンの方は電気を使うようになっているて、結構焼きむらがでる。五徳がまっすぐでないので鍋が傾く。

それはそうと、とりあえずこのガス代をガス栓に接続してもらおうと近所のガス・水道工事屋を呼んだ。結果、ガスコンセントついた1mほどのホースを取り付けてもらうだけで、1時間ほどの作業費と部品代で250ユーロ以上。しばらく工事など頼んだことのなかった私はびっくりして友人に相談するとポーランド人の便利屋を紹介してくれた。このポーランド人二人組に頼むと、キッチン一式、水道の配管、モルタルの壁を崩して配線を埋め込み、新しいコンセントを配置してまた埋め戻す工事、シーリングファンやブラインドの取り付けなど一切合財頼んで、3日間ほど朝から夕方まで工事して500ユーロと少しだった。

仮に部品代が100ユーロとしても(ありえないが)1時間半の作業で150ユーロだとオーストリアの業者に頼めば3日間、21時間として一人2100ユーロ、二人頼んだら4200ユーロ!になってしまう。

これだけ値段が違うと誰も市内の業者になど頼まないだろう。どうやら、通常は外国人に頼めない公共アパートなどの工事だけやっている様だ。

そういう訳で、国境が開いただけで安い労働力が購買力平価の高い地域にどっと流れ込む。もともと労働賃金の高い国ほど失業率も上がって景気が悪化する。物が売れないからデフレになるし、失業者が増えれば国民の不満も高まる。

労働賃金の安い国からは労働力が流出する。外国で働いて出身国の家族に送金でもしてくる人は良いが、ある程度稼げる熟練労働者、特に医師や看護婦などは流出が激しく、所得水準の低いラトビアやブルガリアなどは深刻な医師不足、看護士不足に悩んでいる。

EU主要国の東欧新興諸国への貸し込みについても大前氏は「10兆円程度」などと異常な過小評価をしている。実際にはオーストリア一国だけで東欧への貸し込み(非EU諸国も含む)は20兆円を超える。オーストリアのGDPは4000億ドルなのでGDPの50%を越える。欧州系銀行すべての東欧新興諸国への貸し込みは1兆3000億ドル(120兆円)を越え、その半分以上が不良債権化しつつある。事実、スウェーデンの銀行には買い手の付かないラトビアやエストニアの高級マンションの鍵が山積みになっており、リーガ郊外のヤードにはスウェーデンの銀行が保有する高級車が野ざらしになっている(誰か買い叩いてロシアに売りませんか?)。

ラトビア国債はすでに「ジャンク級」の格付けをされているが、実際にもっとまずいのは後ろに控えるベラルーシとウクライナだ。

大前氏はウクライナを「今後最も投資の価値がある」と評価しているが、実際には毎年ガス代が払えなくてロシアにガスを止められてしまうこの国は、西部と東部で全く違う民族、メンタリティが人工的に寄せ集められて作られており、政治的混乱は収束の方向性が見えない。 最近はシェールガスの話で少しは景気が良い様だが。

いずれにしろ、新興国のいずれかでデフォルトが起これば欧州系銀行は一斉に不良債権の処理を行い、それがさらなる不良債権を生み出して膨大な負の連鎖が起こる。

2011年10月30日日曜日

ジョルジュ・プレートル指揮のウィーンフィル

今日の演奏会は午前11時からだったが、今日から冬時間なので昨日までなら12時、途中で腹が減らない様に軽く昼食を済ませてからMusikvereinに出掛ける。

今日はちょっと奮発して指揮者のよく見える舞台上の席を取った。この舞台左側のオーケストラのすぐ後ろの席。

昨年の2月以来のプレートルの指揮、しかもウィーンフィルとの演奏会を生で聴くのは初めてなので、期待が高まる。









座席から見るとこんな景色。

今日のプログラムはシューベルトの交響曲ロ短調「未完成」とブルックナーの交響曲第7番だったが、いずれも過去に経験したことのない様な演奏で、大変に感動した。
私は晩年のムラヴィンスキー、ヨッフム、チェリビダッケ、カルロス・クライバーといった人たちの演奏や、数多くの練習を生で聴いたが、プレートルを凌ぐほどの感動を体験したことはない。

敢えて言うならミラン・ホルヴァートのブルックナー第6番は正統派の堂々とした演奏だったが、今日のプレートルの演奏は両方とも非常にテンポの起伏の大きい、若々しい演奏だった。

例によってプレートルは曲想やテンポの変わり目、ダイナミックやアーティキュレーションしか振らない。縦の線を合わせることよりも、作品全体の骨格を作り上げることにすべてのエネルギーが注ぎ込まれる。その上、緩急の激しく、アッチェレランドなども並外れた勢いがあるので所々でオーケストラが激しく揺すぶられ、ずれるところもあった。

「未完成」も導入部と主題ではまったくテンポが違う。導入部に一つ振りで入った時には、プログラムを知っているのに一瞬別の曲に聞こえたほどだ。冒頭の主題に沿って刻んでいく第1,第2ヴァイオリンの音型はピアニッシモで先弓で弾いているのに、しっかりとした八分音符で、先日のエッシェンバッハの演奏でトレモロだかなんだかわからなかったのとは大違いだ。ともかく「未完成」ってこんなにものすごい、面白い曲なんだ!って改めて感心させられる演奏だった。

ブルックナーではオーケストラがあまりに激しく揺すぶられ、縦の線が崩壊するところも何度かあった。

例えば第1楽章の提示部の副主題末尾、副主題が長大なドミナントのオルゲルプンクトの上で下降形で現れるあたりから小結尾に入るところ、同じく再現部の終わりでコーダに入るところなどがかなりずれていた。第1楽章のコーダは実は半小節(2分音符1つ分)ずれて終わった。フィナーレのコーダも入った途端にあまりに急速なアッチェレランドについて行けないメンバーがいる。

しかし、そんな事はまったく気にならない、ものすごくスケールの大きな名演。
(私はフルトヴェングラーのオケの下手さは我慢ならないのだけど)。
そして、非常に柔軟でありながら説得力に満ち、和声や曲想に沿った自然なテンポ設定だ。

アダージョでは再現部の6連符が続く部分、非常にテンポの起伏が大きく、ついて行くのが大変そうだったが、ものすごい集中力でコーダに入っていった。

スケルツォは聴いたことのない様な快速。しかもアウフタクトは1小節分一つで、これも非常に緊張感がある。フレーズごとに、和音ごとに大きくテンポが揺れる。例のSus4が出てくる所などデモーニッシュな緊張感があった。あれだけテンポがゆれているのにスケルツォのダ・カーポなどでもテンポはきっちりと整合性がある。

フィナーレは難しいところが多いが、プログラムすべてを完璧に暗譜で通す。

ブルックナーはハース版を使ったが、第2楽章のみ打楽器はノヴァーク版のパート譜を使っていた。弦楽器の譜面台にノヴァーク版のパート譜が配られていたのは出版社への配慮か?あれだけでも貸し譜料がかかるんだろうなあ。

ウィーンフィルのワーグナーチューバはベルの細いクルスペタイプで、ホルンとはまったく違う荒々しい音がする。フィナーレのコーダではこの曲の演奏でいつもトランペットにかき消されるホルンの第1楽章の第1主題が初めてしっかりと聞こえた。弦楽器が全弓で力一杯弾くトレモロもウィーンフィルならではだ。

2011年10月26日水曜日

今シーズン初めてのウィーンフィル演奏会

指揮はChristoph Eschenbach、バリトンのMatthias Goerneのソロで、前半はマーラーの「子供の不思議な角笛」から、ほぼ全曲と後半がベートーヴェンの8番。

「角笛」の歌詞は対話になっているところが多いのだけれどもGoerneは完全なバスバリトンで、声色の使い分けができない。

女性の台詞から始まる"Verlorne müh'!など、はじめの"Büble, wir wollen außre gehe!”と言うのがあのバスバリトンの太い声で始まると、意味不明になる。まるでジェームズ・レヴァインが小学生の男の子をナンパしているみたいだ。

"Irdisches Leben”もものすごい低音で
"Mutter, ach Mutter! es hungert mich, Gib mir Brot, sonst sterbe ich."って「ガルガンチュア物語」が始まったのかと思う。

Goerne氏のプロフィールを見ると「Fischer Dieskauに師事」って書いてある。
同じバリトンでもFischer Dieskauは、例えば「魔王」なら4人分の声色を使い分けた
(語り部、子供、父親、魔王)。

そんな訳で「角笛」はできるならハイバリトンとソプラノの2人でやって欲しい。

あまり好きな指揮者(というかピアニスト)ではないし後半はもしだらだらしたテンポだったら途中で出ていこうと思っていたけど、そうでもなかったし8番は短いので最後まで聴く。アシュケナージやバレンボイムもそうだがピアニスト出身の指揮者の悪い癖として「直接打法」が非常に多い。アクセントでもアインザッツでもいきなりその拍を叩く。そうすると遅れるから先に行こうとして速くなっていく、結果同じ音型が繰り返される様な場所ではどんどん音型が詰まっていく。これは「不均等拍」じゃなくて単に小節の最後を喰ってしまっているだけだ。

例えばこんな場所や

こんな場所


来週はプレートルの演奏会。舞台上の席を取ったのでダンディなマエストロがたっぷり見られるので楽しみだ。


「失語症の国のオペラ指揮者」

私がこの秀逸な書籍と出会ったのは、実はちょっとした運命の悪戯のおかげに他ならない。

ある日、音楽書のコーナーを散策していた私がタイトルが気になってこの本を手に取ってみたのは、日頃からドイツ語やイタリア語がまともにできない指揮者たちが、ろくでもない演出でオペラを指揮していることに批判的だった私と、同じ様な意見の人が他にもいるからに違いないと思ったからだ。

私の期待は見事に裏切られた。邦題「失語の国のオペラ指揮者」というタイトルのおかげで音楽書、それも指揮者のコーナーに分類されていたこの本の原題は"Defending the cave women and other tales of evolutionary neurology" つまり「原始人の女性を弁護する」というもので、直接音楽と関係する部分は第7章の、脳卒中の後重度の失語に見舞われたオペラ指揮者の話だけである。

にもかかわらず、脳神経科医である著者が、様々な脳の障害から解き明かす人間の進化の物語は実に興味深いだけでなく、私の人生と行動に直接的に様々な影響を与えることとなった。

まずは、何かを学ぶ為の「機会の窓」という考え方である。幼い子供が数年のうちに、何も教えなくてもごく自然に語学を習得してしまうのは良く知られた事実だが、これは母国語に限ったことではない。あるいは国籍の違う両親の元で育ち、あるいは外国で育った子供たちは、同様に日常晒されている言語を何のことはなく習得する。

私の友人でミュンヘンフィルのヴァイオリニストをしている中国人の女性がいる。彼女のご主人はフィンランド人で、二人はミュンヘンに暮らしている。彼らは日常はドイツ語で生活しているが、家庭では英語で会話する。問題はその娘である。

中国語とフィンランド語がいずれも世界でもっとも難しい言語に属することは、今さら説明するまでもないだろうが、彼らの娘は4歳のとき、すでに父親とはフィンランド語、母親とは中国語(北京語)、両親が一緒の時は英語、そして幼稚園ではドイツ語で会話していた。そして、それらが混ざり合うことはなかった。彼女が4歳のとき、パパやママと一言二言話したとき、いつもドイツ語で私に通訳してくれた。

ベニーは国籍はアメリカだが父親はオーストリア人、生まれてから7歳まで日本で育った。私は子供の頃のベニーを覚えているが、小学2年生までのベニーは同世代の日本の子供と何ら違いなく日本語で読み書きし、兄のフィリップとも日本語で遊んでいた。オーストリアに戻って2年程して変化が現れた。当時12歳だったフィリップは読み書きは忘れてしまったが、日本語での会話は普通にできる。まあ、そんなに気の利いたことを言う訳ではないが、所謂「外人アクセント」ではない。ところがベニーは日本語での会話能力を完全に失ってしまった。何が彼らに起こったのか?

外国語の早期教育が必要かどうか、この国ではいまだに議論されているが、この本の情報が真実なら結果はすでに出ている。遅くとも11歳までに習得されなければ、外国語を母国語と同じレベルで習得することは、著しく困難だし、少なくとも12歳までその言葉を使い続ける機会が続かなければ、会話能力を保持することは難しい。

このことは音楽の学習においても顕著だ。ピアノやヴァイオリンの様な基本的な音感を問われる楽器は11歳以下ではじめなければ「母国語を話すのと同じ様な流暢なレベル」には決して達しない。

私が初めてドイツ語を学ぼうとしたのは12歳。そろそろ機会の窓が閉じて、限界の迫っていた頃だ。半年あまりの後、中学1年生の私の担任の教師は「英語の学習に混乱を生じる」という理由でドイツ語の学習をやめる様に、私の両親に強硬に申し入れる。あのとき続けていたら、散文や詩の細やかなニュアンス、新聞や雑誌の反復を避けたり専門用語を使った特定な言い回しをもっと自然に、もっとはっきりと理解できる様になっていたのではないかと悔やまれる。

にもかかわらず、この半年間に覚えたドイツ語への入り口が、その後21歳の時に再びドイツ語をはじめたとき、どれほど役に立ったことか!

ところで、少なくとも日本では12歳以上で初めて楽器を触った子供たちの多くが、様々な管楽器を驚異的なレベルで習得するのはなぜなのか?
新たな疑問が湧き起こってくる。

著者がすでに亡くなっているのが残念だが、オリヴァー・サックスなど他の脳神経学者の作品も読んでみたくなるし「レナードの朝」も見てみたくなった。

翻訳も秀逸で、翻訳者が医学や生物学に精通していることが伺える。

2011年10月19日水曜日

ワイン祭り、カボチャ祭り

ウィーンから簡単に行ける魅力的な町なのでレッツについてもう少し書いてみたいと思う。

人口4,218人とは驚いた。いくら何でももう少し居るかと思ったのに。


Wien Mitteからなら75分、Pratersternからなら70分で行ける。
Pratersternからは毎時2分に直行のRegionalzugがある。

毎年9月末はワインの収穫祭10月末にはカボチャ祭りが行われる。


小さな町がこの時ばかりは人であふれかえる。


市役所の塔は結構高くて見晴らしも良い。


郊外(とは言っても中心から歩いて10分ほど)の丘の上には風車小屋と小さいホイリゲがある。


10月までは毎週末にDrosendorfまでの区間に特別列車が走る。写真は1930年代に作られたディーゼルカー。


駅の近くのレストラン、その名も“Weinschlössl”(ワインのお城)ではウィーンのレストランの半値くらいで気の利いた食事ができる。

日本語のガイドブックには載っていないが一度は訪ねてみてはいかがだろう。

オーストリアの小さな町Retzのワインケラー


ちょっと寒いけれどあまりに天気の良い日が続くので、ウィーンから鉄道で北に1時間ほど、チェコ国境近くのRetz、正確にはUnterretzbachに行ってきた。
RetzはNiederösterreich州のWaldviertel(森林地域)と呼ばれる地域とWeinviertel(ワイン地域)と呼ばれる地域のちょうど境目あたりにある小さな町だ。この町から毎週木曜日、ウィーンのMargaretenplatzにテントを張ってワインやハム、ピックルスなどを売りに来ているレッツのワイン製造家Pollakを訪ねた。


あいにくご主人は留守だったが、奥さんが応対してくださった。家のすぐ裏は15ヘクタールのワイン畑。比較的小さなヴィンツァーだがかなり色々な種類を作っている。

いろいろワインを試飲させてもらった後「主人がいないからご案内できないけど、ケラーの鍵を貸してあげるからかってに見てきて」と奥さんが鍵を貸してくれた。


ケラーを覗いて、帰りに交差点まで戻ると「チェコ共和国600m」と書いてあった。ケラーは合計何百キロもあって、中にはチェコ側まで伸びているものもあるとか。


2006年のBlauburgerは傑作だったが私が30本以上買ってしまったので、もう残りがない。今回は2008年のZweigeltを何本か届けて貰うことに。セミバリックなので、コクのあるワインだ。

ウィーンに来る方はお楽しみに。

2011年10月18日火曜日

クルージングナビゲーションに吹き出す

飛行機の中では、特にヨーロッパ方面に向かう時はほとんど映画なんか見ない。
あの小さいスクリーンで見ても面白くないし、目が痛くなるし。

その代わりよく見るのがクルージングナビゲーション。シベリアの景色は
1時間くらい変わらないところばかりなので、しばらくウトウトした後に
「ああ、スタノボイ山塊こえたか」とか「もうすぐオビ川の河口か」とか
「やっとウラル山脈を越えた」とか「今日は南よりの進路でバルト海の上は飛ばない」
とかそんなことがわかる。

しかし、あのプログラム、どこで作っているんだろう?特に日本語の表示は
ばかでかい明朝系のフォントで、日本語としても間違いだらけの上、地名は
でたらめも良いところ。グーグルマップとは大違いだ。

例えばイェーテボリは「ゴテボルグ」マルメは「マルモ」ニッシェルピンは「ニコビン」
(スカンジナビアの地名が特にひどい)ライプチッヒは「レイプチヒ」コシツェは「コシス」
グラーツは「グラッツ」テルチは「テルク」など、到底ヨーロッパ人が日本語で書いたのでもない。
ボーイングの子会社 にでもいる、ちょっと日本語のできる韓国人か中国人、と言うのが私の
想像だが、高額なプログラムだろうに、何であんなにいい加減なことを するのか理解できない。
「バウ」に載っている香港で買った漢方薬の日本語の説明文の様だ。

このへんてこ日本語で表示するプログラムに航空会社はいくら払ったのか知らないが、
日本人なら大学生のアルバイトでももう少しましなプログラムを書くだろう。
こういう無駄を徹底的になくさないと、航空会社に未来はない。

2011年10月16日日曜日

25年ぶりの学生生活

10月12日にウィーンに戻った。前日は鹿島神宮で宮大工の棟梁、Z氏と明け方まで痛飲した。Z氏が空港まで車で送ってくれる。流石にさいたまから行くのとは違って40分でターミナルに到着。お陰で機内では珍しく少し眠れた。

13日にウィーン国立音楽大学の古楽科に履修登録をする。とは言っても週1日、4時間だけの、日本で言ったら科目履修生だ。登録期限が14日までだったのでぎりぎりだったが、何と25年前の学籍番号がまだ有効なまま残っており、お陰で「初回登録」の長い行列に並ばないで直接履修登録だけを行うことができた。何でも、オーストリアでは学籍番号(Matrikennummer)は一度取得したらずっと有効なのだそうだ。

必要だったのは担任のRainer教授のサインだけだったので、サインをもらおうとしたのだが、教授は一区のSingerstrasseの教室にいるらしい。ここは25年前に和声の授業があった教室で、音大の他の校舎とまったく別の所に部屋がある。しかも入り口はSingerstrasseではなくてSailerstätteにあるのでまことに紛らわしい(よく「ウィーン国立音楽大学ってどこにあるんですか?」って訊かれるが「ウィーンじゅうにある」としか答えようがない。まあ、今は主だった教室は3区のAnton von Webern Platzにあるが)。

25年前にトイレが見つからなくていらいらした建物の中はすっかり改装されてきれいになっている。ポジティフオルガンやチェンバロが沢山おいてある部屋を通り抜けて先生の部屋に入る。

無事サインをもらって、レッスンやゼミの日程、課題などの詳細を聞いてくる。授業の開始は10月末、課題はバッハのカンタータ第78番”Jesu, der du meine Seele”だそうだ。
とりあえず、シュッツやモンテヴェルディやラモーやヘンデルじゃなくてよかった。はじめからこの辺をやられるとわからないことが多そうだから。

新バッハ全集に関して早速先生と話が盛り上がってしまう。「何か用意しておくことはありますか?」と訊ねると「正しい楽譜の読み方 バッハからシューベルトまで」という日本語の本を頂いた。先生の講義録であるが、何と著者は大島富士子女史ではないか。
お話しは尽きなさそうだったが、書類を学校に持って行かなくてはならないので中断してその場を辞する。

古い学籍番号のお陰で25年前の住所の印刷された登録票がプリントされてきてしまうハプニングもあったが訂正してもらい、ともかく無事に登録が終了する。

週末、ウィーンは冷え込んだが朝から空気が澄み切って空は雲一つない。この時期のウィーンには珍しいことだ。子供のレッスンの帰りに大学時代の友人Eddaにこれまた25年ぶりにばったり出会った。

ウィーンは、狭い。

2011年10月4日火曜日

シャッター通り

どんどん店が潰れていく。

うちの前の道はウィーンの中ではかなり活気のあるバス通りで、1.5kmほどある坂道だ。以前はウィーン料理屋も何軒かあったし、古ぼけてはいても商売にはなってそうな店が多かった。 
リーマンショックの後くらいからどんどん店が潰れ始めた。
2、3ヶ月に1軒は店が潰れる。場所によっては次のテナントが入るが、すぐまた潰れてしまうところもあるし、ひどいところはかなり立地のよい角地なのに2年も空き家になったままだ。お陰で夜遅く家に着いて何も食べるものがなくても玄関を出て3分で入れるウィーン料理屋もなくなったし、雨の日も濡れないでパンを買えたパン屋もなくなってしまった。
一番近くにあったBAWAG(労働経済銀行)も最近潰れた。ここはリーマンショックの直前まで日本の国債を買っていて、ユーロ高で一旦破綻しかかって郵便貯金と一緒になったところだ。 新しくできる店と言えばスポーツ賭博付きのゲームセンターばかりだ。

1区でも貸店舗の1割以上が空き家だそうだが、中心部から5キロも離れていないこの辺の通りではその倍くらいは空き店舗になっているみたいだ。ブダペストのラコッツィー通りでも東駅のすぐそばまで半分以上の店がシャッターを下ろしたままだった。

ウィーンに来てもケルントナー通りとグラーベンくらいしか見ていかない観光客や、ザッハーやインペリアルに泊まって証券取引所くらいしか行かない経済評論家にはわからないだろうが、これがヨーロッパでも比較的経済状態のよいとされるオーストリアの現実だ。アメリカの格付け会社の格付けに騙されてはいけない。
日本でこれほどのシャッター通りが続くのは前橋、伊勢崎、甲府などの地方都市の、車でのアクセスの悪い部分だ。 
気になる事実がもう一つある。
8月にウィーンに戻ったら銀行から新しいキャッシュカードが届いていた。
同封の書類に一日あたりの利用額の説明がある。
ATM利用の場合の一日あたりの引き出し限度額は400ユーロでこれは変わらない。問題は窓口利用の場合の引き出し限度額で、以前は窓口なら無制限だった。



(これは1区の伝統あるビアホール、スムフニーの跡)

これが新しいキャッシュカードでは「1日」1100ユーロとされている。
もちろん、私はろくにお金を入れていないから大して困らないが、賢明なる諸兄はこの事が何を意味しているか、すぐにおわかりになるだろう。

これがヨーロッパの現実だ。

2011年2月14日月曜日

10バーツ

ヴェルグル(Wörgl)からの特急に乗ったのは12時少し前だ。乗り換えなし、4時間半強でウィーンに着く。荷物も多かったし買い物をしていなかったので珍しく食堂車に行くことにした。
車内は混み合っていたけどトランクをコンパートメントに置きっぱなしで食堂車に行くことになるので次のクフシュタイン(Kufstein)の駅を出発するのを待った。クフシュタインを出ると列車はドイツ領内を通過して、再びオーストリアに入るザルツブルクまで約1時間半どこにも停まらない。万が一重いトランクを持ち逃げしようなどと言う不届き者がいても、下車できない。幸い同じコンパートメントは親子連れがもうひと組と一人旅の老人がいたのでどこで降りるかを尋ねてから食堂車に行く。ザルツブルクで降りるそうだからそれまでに戻れば大丈夫だ。

食堂車は空いていた。二人がけの方は二組ほど、四人がけに一組、合わせて十人ほどしか座っていないし、もう食事が済みかけている人もいた。これなら充分間に合うだろうと思って、メニューを手に取った。

ところが一人勤務のウエイトレスは何度通りかかっても注文を取りに来ない。流石に困り果てて、三度ほど呼び止めてやっと注文を取りに来た時、列車はもうローゼンハイムにさしかかっていた。コーヒーとグーラッシュスープ、それにサラダとパンを頼む。子供にも同じ物とリンゴジュース。しかしすぐに出てきたのは飲み物だけで、たかだか温めて注いでくるだけのグーラッシュスープが待てど暮らせど出て来ないのだった。

細身で黒髪で、恐らく30代だろうか、ヨーロッパ人のウエイトレスは忙しそうに歩き回って、後ろの席の勘定を受け取ったりはしているが料理はいっこうに運ばれてこない。もう一度苦情を言ってスープとパンが出てきた時、列車はすでにトラウンシュタイン(Traunstein)を通り過ぎていた。はじめアジア人を差別する良からぬ輩かと思ったが、向かい側のわれわれよりすぐ前に座ったヨーロッパ人のカップルは注文も取りに来ないのに呆れて、出て行ってしまった。ザルツブルクまではもう20分ほどだ。急いでスープを飲みパンを食べる。せっかく景色を見ながら食事を楽しもうと思ったがそれどころではない。サラダはついに運ばれてこなかったので諦めて会計を頼む。

13ユーロ某の勘定に、本来チップなどやる気もしなかったけど面倒なので14と言う。ウエイトレスはせわしなく財布からじゃらじゃらと釣り銭を出して私の手に乗せたが4ユーロしかない。"Vierzehen bitte, habe ich gesagt"(14ユーロどうぞと言ったのですが)抗議すると彼女はちょっと済まなそうに財布から2ユーロ玉を出して、まだ先程の4ユーロが乗ったままの私の手の上に乗せた。

しばらくぶりの食堂車が酷くついていなかったことにがっかりしてコンパートメントに戻った時、列車はもうフライラッシンクを過ぎていた。荷物の番をしてくれた親子連れに礼を言うが、彼らもすぐにオーバーを着るとそそくさと列車を降りていった。

列車は最近の例に漏れず、至極正確にウィーン西駅に着いた。荷物も多いのでタクシーに乗って家に向かった。
支払いの際、コインを渡そうとすると「これは使えませんよ」と言われる。よくよくみると、先程の釣り銭の2ユーロ玉の中に混ざっていたのが10バーツ(写真中央)だ。25セントほどの価値しかない。タクシーに乗る前だったら警察に突き出してやったのに、今となっては証明する手立てもない。列車食堂のウエイトレスがろくに働きもしない上、たかだか2ユーロと言え、どうどうと詐欺をする。チェコのタクシーのボッタクリやレストランの人種差別は不愉快だが、まさかオーストリアでこんな目にアウトは思わなかった。被害金額は少ないけれどヨーロッパ人の商道徳もまさに終わったな、これでユーロも終わりだ、と直感する出来事だった。

このタイバーツの他、ブルガリアレイ(1ユーロ玉によく似ているが半分の価値しかない)などにも注意。不愉快な思いをしないようにおつりは良く確認して下さい。