2011年10月16日日曜日

25年ぶりの学生生活

10月12日にウィーンに戻った。前日は鹿島神宮で宮大工の棟梁、Z氏と明け方まで痛飲した。Z氏が空港まで車で送ってくれる。流石にさいたまから行くのとは違って40分でターミナルに到着。お陰で機内では珍しく少し眠れた。

13日にウィーン国立音楽大学の古楽科に履修登録をする。とは言っても週1日、4時間だけの、日本で言ったら科目履修生だ。登録期限が14日までだったのでぎりぎりだったが、何と25年前の学籍番号がまだ有効なまま残っており、お陰で「初回登録」の長い行列に並ばないで直接履修登録だけを行うことができた。何でも、オーストリアでは学籍番号(Matrikennummer)は一度取得したらずっと有効なのだそうだ。

必要だったのは担任のRainer教授のサインだけだったので、サインをもらおうとしたのだが、教授は一区のSingerstrasseの教室にいるらしい。ここは25年前に和声の授業があった教室で、音大の他の校舎とまったく別の所に部屋がある。しかも入り口はSingerstrasseではなくてSailerstätteにあるのでまことに紛らわしい(よく「ウィーン国立音楽大学ってどこにあるんですか?」って訊かれるが「ウィーンじゅうにある」としか答えようがない。まあ、今は主だった教室は3区のAnton von Webern Platzにあるが)。

25年前にトイレが見つからなくていらいらした建物の中はすっかり改装されてきれいになっている。ポジティフオルガンやチェンバロが沢山おいてある部屋を通り抜けて先生の部屋に入る。

無事サインをもらって、レッスンやゼミの日程、課題などの詳細を聞いてくる。授業の開始は10月末、課題はバッハのカンタータ第78番”Jesu, der du meine Seele”だそうだ。
とりあえず、シュッツやモンテヴェルディやラモーやヘンデルじゃなくてよかった。はじめからこの辺をやられるとわからないことが多そうだから。

新バッハ全集に関して早速先生と話が盛り上がってしまう。「何か用意しておくことはありますか?」と訊ねると「正しい楽譜の読み方 バッハからシューベルトまで」という日本語の本を頂いた。先生の講義録であるが、何と著者は大島富士子女史ではないか。
お話しは尽きなさそうだったが、書類を学校に持って行かなくてはならないので中断してその場を辞する。

古い学籍番号のお陰で25年前の住所の印刷された登録票がプリントされてきてしまうハプニングもあったが訂正してもらい、ともかく無事に登録が終了する。

週末、ウィーンは冷え込んだが朝から空気が澄み切って空は雲一つない。この時期のウィーンには珍しいことだ。子供のレッスンの帰りに大学時代の友人Eddaにこれまた25年ぶりにばったり出会った。

ウィーンは、狭い。

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