2019年5月18日土曜日

指揮講習会2019を終えて

私がクルト・レーデル先生とともに指揮講習会をはじめて今年で23年目になりました。さいたま芸術劇場での指揮講習会も19年目になります(途中開催されなかった年が3回あります)。

今年は特に嬉しいことに、10代、20代の若い指揮者のみなさんが例年になく沢山参加してくれました。皆さんの中から将来世界で活躍する指揮者が誕生することを楽しみにしています。

さて、本来なら受講生一人ひとりに講評をお送りするべきなのですが、全員に共通する問題点が多く、その多くはどの指揮者にとっても、指揮を学ぶ多くの人にとっても参考になることなので、ブログの記事に書いておきますので読んでいただきたいと思います。これらの問題点にはスコアを読んで作品を解釈する際の問題点と、それを体の動きや顔の表情でオーケストラに伝える際の指揮のテクニック(所謂「棒テク」)の問題点とがあります。

一人ひとりの問題点については特に注意するべき点を短いメールで後ほど皆さんにお知らせしたいと思います。

1. スコアリーディングと解釈、リハーサルの問題点

まずは、受講のための準備、スコアリーディングとアナリーゼについてです。指揮者が自分が指揮する作品を準備することについては以前にブログに書いていますのでこちらも参考にしてください。また、スコアを読んで自分の中に自分だけの曲のイメージが出来上がるまではレコ勉をしないでほしいということについても過去に書いていますので、できればこちらもお読みください。

クラシック音楽の作品を指揮するために指揮者がまずするべきことは、作曲者が記した作品の設計図、作品の骨格であるスコアをよく理解し、それを実際にオーケストラに演奏してもらうための手順を前もってよく考えておくことです。まず、重要なのは基本的なテンポを含むアゴーギク、音量の変化と各楽器間のバランスであるデュナーミク、そしてアクセントやメトリック、そして作品のコンテキストについてです。

これらには作曲者によってスコアに書き込まれているものとそうでないものがあります。作曲者によってスコアにテンポが書き込まれるようになったのは比較的後の時代のことで、バロック時代から古典派初期にかけてはテンポが作品の各部分に書き込まれることは稀でした。また、仮に今日ではテンポに該当する言葉が書き込まれていてもPrestoとかLentoとか直接的にテンポを表現する言葉が使われることは稀で、AdagioもAllegroも本来は作品の気分を表す言葉です。

その曲をどんなテンポで演奏するかは指揮者の趣味の良し悪しが最もよく分かる部分でもあり、その指揮者が「レコ勉してきたのではなくてどれだけよくスコアを読んできたか」もはっきり分かる部分です。バロック時代から古典派に至る作品は20世紀全体を通して非常に間違った解釈がまかり通ってきましたので、今日演奏する際には20世紀の録音はほとんど参考になりません。過去に講習を受けてきた方には何度も説明してきましたが、19世紀初頭の作品までは仮に初期ロマン派の作品であってもバロックの演奏法の影響を強く受けてきています。従ってテンポの選択にあたってはまずはその曲が「舞曲であるのかないのか」序奏部や両端楽章ならどのような性格の音楽なのか、当時の楽器で当時の奏法で演奏した場合、本来あるべき演奏可能なテンポなのか、演奏されたのは教会なのかオペラハウスなのかなどをよく考えるべきです。次に省略されたアッラ・ブレーヴェないし4/4拍子の記号がついている場合基本となる音価は本当に二分音符なのか四分音符なのかも熟慮する必要があります(これはゼクエンツがいくつの音の塊でできているかをよく見ると普通すぐわかります)。そして、何より作曲家がメトロノームを書き込んでいる場合は(少なくともフルトヴェングラーやカラヤンの録音を聞いて参考にする以上に)そちらの方を参考にするべきです!

テンポの問題と考え方については是非「正しい楽譜の読み方」を参考にしてください!

accel. や rit. rubato のようなテンポの変化、cresc. や dim. のようなダイナミックの変化、そして様々なスタッカートやアクセント、アーティキュレーションが作曲者によって書き込まれているかどうか、書き込まれていてもいなくても、それをどのように解釈するかは本来「棒テク」以上に指揮者の技量が問われる点です。

天才的な指揮者たちの中には練習の際にいちいちオーケストラを止めてそれらを指示しなくてもかなりの部分を「棒テク」で示せる人もいます。しかし、そうした天才は一部の例外であり、高名な指揮者であっても通常は練習にあたって何度もオーケストラを止めて指示を出し直さなくてはならないことを強調しておきます。

そして、オーケストラを止めて指示を出すためには、もちろん作品に対する明確な像が指揮者の頭の中に出来上がっていなければなりませんし、何よりも自分の頭の中の作品像と実際に目の前のオーケストラが出している音の違いを発見し、両手を使ってオーケストラをコミュニケーションを取りながらそれを修正していくか、オーケストラを止めてどのように演奏してほしいかを言葉で説明できなくてはなりません。

講習にあたって作品を演奏してくれたオーケストラはフリーのプロ奏者が中心ですので、普段多くの受講生が指揮しているオーケストラよりも格段にミスの少ない、音程やバランスの問題もない演奏だったかとは思いますが、上記のブログにも一度書いたように「ある指揮者が譜読みをしながら構築して来たその指揮者の脳内設計図と、実際にオーケストラが1回目の練習で出す音が完全に一致することは、どんなに短い作品であっても、またどんなに優れたオーケストラであっても、本来あり得ないのです」。

日本での毎回の講習で一番問題に感じるのは、指揮台に立った受講生が、眼の前のオーケストラの出している音を正確に聴き取り、問題点を指摘するのではなく、ただ漫然と与えられた時間作品を繰り返し通して指揮してしまうことが多すぎることです。仮に、間違った演奏の原因が指揮の技術の未熟さにあるとしても、本来あるべき、指揮者としての自分がイメージした音と違う音が聞こえたのであれば、オーケストラを止めてそれをやり直すべきです。その際に、指揮の技術の未熟さ故にそれを読み取ったオーケストラが自分のイメージしたテンポ、ダイナミック、アーティキュレーションと違う演奏をしたことが明らかになれば、指揮の技術を改善するチャンスとなります。もしそれを聞き取れず、あるいは気持ちよくオーケストラを指揮することのほうを優先してしまうとすれば、指揮の技術を改善するチャンスは失われてしまうのです。

2. 指揮の技術の問題点

今回全員に共通して感じたのは、指揮棒を振り下ろした瞬間(これは1拍目の場合で4拍子の4なら振り上げた瞬間)以前より激しくリバウンドしてしまって、打点で指揮棒が停止している時間がないこと。これはレーデル先生が手本を示しながら「Stop!、Stop!」と言い続けていたのに、私が近年少し甘くしすぎたのだと思いますが、打点を打ってから指揮棒が一旦止まるということは、次の点前の運動がそこで見せられるということです。すべての拍がリバウンドしてしまうと次の拍との間に何も見せられません。

指揮棒の動きは基本的には等速運動と等加速度運動の2つですが、等速運動は柔らかなアインザッツや合唱だけ、弦楽器だけのピアノの出だしなど、比較的稀にしか使いません。等速運動は指揮のどの拍子の図形の上でも等速で動かしますが、なめらかな図形(レガートやテヌートなど)しか使いません。それに対して等加速度運動は管楽器や打楽器、ピッツカートを含む全てのアインザッツ、アウフタクトに使われます。注意すべきは、等加速度運動のアウフタクトはテンポによって縦型の楕円形を半分に切り取った(つまり上げ拍のみ)の形を一小節分、一拍分または一音符分に正確に使い分けなくてはならないことです。今回これができていない人、ないし理解できてない人が大変多かったです。

例えばベートーヴェンの交響曲第7番のスケルツォの出だしが良い例です。クルト・レーデルの「指揮のテクニック」の「一つ振り」の振り方からシューベルトの「グレート」第4楽章、ベートーヴェンの「運命」の第3楽章なども参考にしてください。

また、同じ1つ振り、2つ振り、3つ振りでも2/4と6/8、3/4と9/8では特にアウフタクトの部分で違う振り方になることが多いので注意してください。オーケストラから見て6/8が2/4のように見えるのでリズムが引きずってしまう人が多かったです。

3.姿勢その他の問題点

オーケストラの前に立ったとき、緊張せずにすべての筋肉を思ったとおりに操ることは指揮者共通の課題です。普段と違うメンバーを指揮するときに緊張してしまうことは大指揮者でなければ無理も無いことです。しかし、仮に緊張していてもそれが表情や態度に表れないように「リラックスして見せる」事ができなければ、オーケストラの側にも不必要な緊張感を与えたり、演奏のミスや不快感の原因となります。

具体的には、まず上半身の緊張によって次のようなことが起こっている人が多かったです。

・表情が曲の開始に合わせてほぐれていない。どこで息を取ったら良いかわからない。
・口の周りや首に力が入ってしまっている。
・指揮台に立ってから振り始める前に余分な動きをしてしまうので、どこが本来のアウフタクトでどんな表情、テンポ、ダイナミックかがわからない。
・肩が上がってしまって上腕の動きが制約されてしまう。
・自分が思っているよりアウフタクトが大きすぎる、小さすぎる。
・姿勢が傾いたり片足が前に出たままになっている。

このような状況は上半身の自由な動きを阻害し、音楽作りの障害となります。

それでは、一人ひとりには追って一言ずつ個人的な注意点をお送りしたいと思います。
年1回の講習ですべての技術的な問題を指摘するのは難しいので、なるべく継続して講習会に参加してください。

この文章の一部または全部の引用は必ず事前にご相談ください。また、引用する場合リンクを掲載してください。




2016年5月19日木曜日

ウィーン少年合唱団とはなにか?

Palaisと呼ばれる本館
正直な話、私自身ウィーン留学を終えて帰ってきたあとでも、ウィーン少年合唱団とは何なのかはっきりわかっていなかった。それどころかそもそも「少年合唱団」とは何か、がよくわかっていなかった。

ドイツ語で少年合唱団のことを ”Knabenchor" 、少年少女合唱団のことを ”Kinderchor" と言うが、もし ”Knabenchor" の指導者に ”Kinderchor" などと言おうものなら、彼がひどく侮辱されたような顔で不機嫌に ”Knabenchorだ!”って言い返すことは間違いない。

”Knabenchor"のことを”Kinderchor"と言うのは歌舞伎の女形に向かって「オカマ」って言うに等しい侮辱である。なぜなら少年合唱団”Knabenchor"とは本来女人禁制の宗教音楽の世界においてソプラノとアルトを歌うために特別に訓練された「成人の歌手と同程度の技術と音楽性をもつ、超エリート少年歌手」の集団だからである。

1989年ドイツのアウクスブルク大聖堂の少年合唱団指導者であるラインハルト・カムラー氏と知り合った頃の私は、ウィーン国立音楽大学に留学していたにも関わらず、まだこの違いがよくわかっていなかった。なので、その後”Domsingknaben"と言われるこの合唱団が演奏するバッハのクリスマス・オラトリオ、ヨハネ受難曲、モーツアルトのレクイエムなどを次々と聴き、共演するに至ってそのレベルの高さに度肝を抜かれるとともに、自分の無知を深く恥じることになるのであった。

したがって、大部分の日本の聴衆や音楽ファンがウィーン少年合唱団のことをただの「世界レベルのこども合唱団」だと思っていても何の不思議もない。そして、そのウィーン少年合唱団がドイツのいくつかの少年合唱団と同じく、来日公演の際に「日本の歌」とか「オーストリア民謡」などを歌うように主催者から要請されて、プログラムのほとんどがそういう曲で組まれているのも、無理もないような気もする。

ビーバー 53声のミサ曲
もちろん、合唱団であるからには、そして高いレベルの合唱団であるからには「日本の歌」だろうが「オーストリア民謡」だろうが「世界の名曲」だろうが何でも歌えることは言うまでもないが、本来はウィーン少年合唱団は神聖ローマ帝国皇帝マキシミリアン1世が宮廷での教会音楽の演奏を目的として創設した合唱団だ。設立時にはインスブルックにあったこの合唱団がハインリッヒ・イザークなどの難しい多声音楽を演奏していたことは間違いないし、中にはビーバーの「53声のミサ曲」なんてものもある。AKB48が48人で同じ旋律を歌うのと違ってこの曲は(少なくとも)53人がすべて別のパートを歌うのだ。

その他にもカルダーラやハイドン、モーツアルトなどのミサ、オラトリオ、ヴェスペレ、の他そのレパートリーにはシューベルトやブルックナーのミサやモテットなども含まれる。また、マーラーの交響曲第3番や第8番のような少年合唱を含むロマン派の作品でもウィーン少年合唱団はしばしば演奏に駆り出されるのである。

なので、主催者の無知が故にウィーン少年合唱団をただのこども合唱団と勘違いし「日本の歌」とか「オーストリア民謡」を中心としたプログラムをリクエストして、聴衆もそれを「可愛いわねえ」なんて言いながら聴いているのは例えて言うならば榛名湖のまわりを走っている観光馬車をダービーに出るサラブレッドに牽かせているようなものである。

ウィーン少年合唱団はまた全寮制のボーディングスクールでもある。校舎は一番上の写真の「パレ(アウガルテン宮殿)」と呼ばれる本館を中心に、国立公園であるウィーン2区のアウガルテンの中の広大な敷地にある。オーストリアの学制は日本と違って4年間の小学校(フォルクスシューレ)の後中学校と高校を併せたような8年制の「ギムナジウム」に行くのだが、最近はドイツと違って5年生から8年生までの「ノイエ・ミッテルシューレ」と9年生から12年生までの「オーバーシュトゥーフェ」に分かれるところが多くなった。

ウィーン少年合唱団は国立公園の中にあるが学校は私立学校である。ウィーン少年合唱団には小学校(フォルクスシューレ)、全寮制の「ギムナジウム」がある。そして合唱団員となれるのは5年生以降の「ギムナジウム」の声変わりする前の生徒である。以前は声変わりするとしばらくの準備期間を置いて転校せざるを得なかったが2010年からは女子も入れる「オーバーシュトゥーフェ」が設立されて、そこに残って音楽を中心とした勉強をすることもできる。








2015年6月29日月曜日

ギリシャのデフォルトとユーロ離脱により何が起こるか

ギリシャのデフォルトとユーロ離脱についてはすでに多くの人がブログ等に書いているが、以前にも巨大経済圏、EUの行方ユーロ崩壊後のシナリオとは?にも書いてきたので、今後の問題点についていくつか指摘しておきたい。
巨額な負債を抱えたギリシャの離脱自体はユーロ圏にとってプラス要因であるが、ギリシャが支払不能に陥ればドイツ、スイス、オーストリアのいくつかの銀行は巨額の損失を被ることになる。

マーケットハック、ギリシャが「月曜日には銀行を開けない」と宣言 プレッシャーはメルケル首相への筆者はデフォルトしたアルゼンチンについて書いているが、今回のギリシャの場合、まったく別の問題がある。アルゼンチンはデフォルト後も自国通貨のペソを使い続けることが出来たが、ギリシャはユーロを離脱すればいつまでもそのまま自国通貨としてユーロを使い続けることはできない。いずれかの時点でギリシャは自国通貨であるドラクマを再導入し、ユーロを交換しなくてはならない。ギリシャがユーロを離脱してドラクマに戻る場合、通貨の切り替えのためには膨大なコストがかかる。ギリシャはこのコストを自己負担して新紙幣と硬貨を導入しなくてはならないが、この新ドラクマが難しい問題を提起することになる。

まず第一に、ユーロ導入の際と違いかなり無計画に起こった今回のデフォルト騒ぎとユーロ離脱にあたり、ギリシャは恐らくまだドラクマの紙幣や硬貨を準備していない。だとすると、ドラクマが用意されるまでの数カ月なりの間、ユーロは流通する唯一の通貨として使われ続けなくてはならない。しかし、ECBの側からすると債務を償還しないギリシャの国内に流通しているユーロは本来はECBが没収しなくてはならないものであり、ギリシャがいつまでもこれを自由に使い続け、ギリシャの富裕層がユーロを使って資産を国外に移転させるのを手をこまねいて見ている訳にはいかない。したがって資金の移転について厳しい制限をかけてこれを監視し、国境や空港を封鎖してでも違法な資金の移動を防がなくてはならない。なので、ギリシャへの出入国は厳しくチェックされる他ギリシャからのユーロの持ち出しには制限がかけられる事になるだろう。ギリシャから持ちだされるユーロは最悪の場合没収され、ギリシャ国内で流通するユーロには大きく「Greek」とか「G」とかいうスタンプが押されるかもしれない。こうしたユーロはギリシャ以外の国ではドラクマとしてしか通用しなくなるので、事実上紙切れになる。また、ユーロの両替には「どこで手に入れたユーロなのか」などを示すための両替や支払いの証明書の提示が必要となるかもしれない。

第二に、導入と同時にドラクマはユーロに対して急激にその価値を下げ続けることになる。ドラクマが復活する場合、旧ドラクマのユーロに対しての固定レートを復活させる場合と、1ドラクマをとりあえず1ユーロとパリティ(等価)で交換し始める2つのパターンが考えられるが、いずれにしても何の担保もなく信用の裏付けのないドラクマは導入と同時に急激に下落を始め、場合によってはハイパーインフレに近い様相を取るかもしれない。だとすると、誰がいったい持っていれば数日で紙切れになってしまうかもしれない自国通貨とヨーロを交換したがるだろうか?

第三に、ギリシャ国内のATMやクレジットカードの利用は当座限度額が設定されるか、あるいはまったく不可能になるかもしれない。しかしその後ギリシャはATMや自動販売機、両替機などの導入コストを抑えるため、新ドラクマの大きさやデザインを可能な限り現在流通しているユーロに近いデザインとするだろう。そしてこのことがさらに大きな問題を引き起こす可能性がある。すなわち、導入と同時に大きく下落するであろう新ドラクマがユーロ圏の国に持ち込まれれば、その国のATMは現在のユーロ紙幣と新ドラクマを判別することができなくなる可能性があるのだ。ECBとしてはこの事態は絶対に避けたいだろうが、もともと500ユーロ紙幣の製造原価が5セントと言われているほど、安く作られているユーロの紙幣や硬貨には偽札や偽硬貨が大量に出回っていて、商店などでは今でも500ユーロ、200ユーロの受け取りを拒否するところが多いほどだ。もし、ギリシャが国内のATMや自動販売機でそのまま使える新ドラクマをユーロそっくりに作って導入すれば、数カ月後には100ユーロ紙幣の10分の1しか価値のない100ドラクマ紙幣がユーロ圏に持ち込まれ、100ユーロとして使われることになりかねない。そうなれば、各国の銀行や鉄道などはATMや自動販売機の使用を中止せざるを得ず、各国の経済は大混乱となることだろう。

まもなく日本の外為市場が開くが、世界のマスコミと金融関係者が東京市場でのユーロの動向に注目している。もしヘッジファンド再びがユーロを売り叩こうとすれば実際にギリシャのデフォルトがユーロ圏に与える影響とは比べ物にならない売り圧力がユーロにかかるかもしれない。



2015年6月5日金曜日

原典版と「レコ勉」について(その3)

昨今は「原典版」(Urtext)と称する楽譜が様々印刷されて、実のところ何をもって「原典版」と称するのかがよくわからなくなっている。例えばベーレンライター版の「新モーツアルト全集」や「新バッハ全集」においてはスコアに書かれている楽器の順番や音部記号はすべて近代以降の書き方に直されている。

フィガロの結婚の手稿
モーツアルト自身は総譜を上の段からViolin、Violaと書いて、その下に管楽器をまとめて書き、その下に声楽のパート、そしてチェロやバスという順番でほとんどのスコアを書いている。今日の楽譜はスコアの最上段はフルートから始まる管楽器、そして金管楽器、弦楽器というふうに書かれている。バッハの書き方は管楽器が上段である。


ヨハネ受難曲の手稿

いずれの全集でも声楽のパートはすべてト音記号の高音部(ヴァイオリン)記号とヘ音記号のバス記号で印刷されているが、本来はソプラノはソプラノ記号、アルトはアルト記号、テノールはテノール記号で書かれていた。そのため、今日ではソプラノ記号の読めないソプラノ歌手、アルト記号の読めないアルト歌手、テノール記号の読めないテノール歌手、といった使いものにならない人罪はが世に蔓延するようになった。














ヨハネ受難曲の印刷譜





「新バッハ全集」においてはまるでプロコフィエフのスコアのようにホルンのパートまでがin Cで印刷されているが、本来in Fであったホルンの譜表をin Cで印刷すると下に下線がたくさんついた譜面になるし、パート譜は当然in Fで書かれているので練習の際に奏者にむかって話すときにいちいち「実音の何の音」と言わなくてはならないので、大変に煩わしい。


「新モーツアルト全集」においては校訂者が丸いスタカートとくさび形のスタカートを意識して書き分けてくれているのである程度参考になるが、「新ベートーヴェン全集」においてはスタカートはすべてくさび形のスタカートに統一されている。これは実のところ大変不自然である。




こうして多くの改変が行われたスコアが「原典版」として出版されているわけだが、実のところ演奏上でどの版を使っているか聴き分けることはほとんど無理だろう。何故なら演奏技術の上でこれらを「弾き分ける」ことはほとんど不可能で、注目されるべき点はどの版を使うかよりも、以前からあるブライトコプフ版などにも印刷されていたベートーヴェンのテンポを実際に採用するか否か、ということのほうがはるかに聴いている人に分かりやすいからだ。

「今度演奏する曲を、どの版で演奏したらよいですか?」という質問を受けることがよくあるが実際選択肢はそれほど広くなく、また「どの版が音楽的により作曲者の意図に近いか」ということよりも、どの版が手に入りやすいか、あるいは多くのオーケストラはどの版を所有しているであろうか、ということのほうが版を選ぶ場合により重要な基準となる。

ブランデンブルク協奏曲第3番の手稿
私自身はバッハについては上記のような読譜上の問題からある一定の、頻繁に演奏されるレパートリーについては旧全集版の、それも19世紀に出版されたブライトコプフ版のスコアを使うことが多い。






モーツアルトはある程度網羅的に出版されている方が便利で、その際に記譜の仕方がいちいち違っていると煩わしいので、新全集を使うことが多い。

ベートーヴェンは本当はヴィースバーデン版のブライトコプフが一番使いやすいのだが、最近は手に入らなかったり、オーケストラが持っていないことも多いのでベーレンライター版を使うことが多い。

このように、どの「原典版」を選ぶかは音楽的な理由よりも現実的なエネルギーをなるべく節約する方法が取られることが多い。

ブダペストでマーラーの4番を演奏した時、協会版の楽譜が手に入らず、初版のパート譜に10日位かかって手を入れて協会版と同じ音に直して演奏したが、今からしてみると大失敗であった。第一に自分がスコアを読むべき時間を大分無駄にした。第二に「初版による演奏」とことわって演奏すれば、それはそれで希少価値が高かったはずである。実はこの曲の「初版による演奏」を私は聴いたことがないし、マーラー自身によるその後の校訂をそれほど金科玉条に守る必要もなかったのである。

2015年5月31日日曜日

「海外に住んでいる人が海外旅行に来た人を案内するのはすべて自腹?」

こちらも大手小町で「海外在住の皆様 そんなに迷惑ですか」というトピが立っているので少しお話します。

私は年の半分ほどをウィーンで過ごしていますが、ウィーンは観光地なので日本から観光や仕事のついでに寄っていく人や、留学準備などで訪ねてくる人が結構います。もうすでに何度も来ているから観光には付き合わなくていいので、一緒に喫茶や食事に行こうか、と言う人はまったく問題ないのですが、中にはまったく初めてなので案内してほしいという人も結構います。日本でいろいろお世話になっている方などはそういう場合も時間のあるかぎりお付き合いします。ですが、初めての方の場合は勢いシェーンブルン宮殿に始まって、ベルヴェデーレ、美術史美術館、王宮、シュテファン大聖堂などお決まりのコースになることが多いです。こうした場合、流石にもう何十回も見ていて入場料もそれなりに高いシェーンブルン宮殿など「私は前の喫茶店で待っているから中はガイドツアーで見てきてよ」って言いたいところですが、当然中まで付き合ってもらえると思っている人も多いようです。

オペラも私は通常立ち見で見に行って、もし気に入らなければ1幕を見て帰ってきてしまうこともありますが、100ユーロも出して座ってみたい人に付き合っていたら、シーズン分の予算をすぐ使い果たしてしまいます。おまけに、旅行社だったら何万円も手配料を払って、結果何倍かの値段でチケットを買うことになるのですが、日本から誰かが来るとなると何時間もパソコンの前に座って、良い公演の良いチケットがないかどうか探したり、実際チケットオフィスに買いに行ったりすることになることもあります。

オペラのチケットだけでなく、博物館や美術館、王宮などを案内した上に入場料まで払うことになり食事も外食ばかりになると、数日間滞在する人の案内をすると数百ユーロが飛ぶことになります。もちろん、その間に仕事も滞るし、勉強や練習をすることもできません。

最近、ホテルなどもBooking.comとかExpediaなどで簡単に取れるようになってきましたが、何ヶ月も前から「ホテルはどこにしたらいいでしょう?」「ルートはどうしたらいいでしょう?」と聞いてくる人もいます。仕方がないからこちらのクレジットカードで予約してあげることになったりしますが、その場合はもしドタキャンされたりすればこちらのクレジットカードからキャンセル料を取られる恐れがあります。でも、急に病気になったり身内に不幸があったり、交通機関の遅延などで旅行が予定通りできなくなった人に、自分が取られたキャンセル料を請求するのは難しい場合もあるかもしれません。ですから、よほど気心の知れた人以外は、好意でやったことがかえってトラブルのもととなる恐れがあります。

ウィーンに住んでいるともっとひどい場合「初めてプラハやブダペストに行くんだけど、一緒に行って欲しい」などというのもあります。多分ミュンヘンに住んでいる人も、一度や二度は「ノイシュバンシュタインに行くんだけど一緒に行って欲しい」などと言われたことがあるのではないでしょうか?プラハやブダペストはウィーンから日帰りで行けないこともありませんが、交通費だけで往復数十ユーロの出費になります。私は何度も付き合っていっていますが、残念ながら今まで交通費や宿泊費を出してもらったことはありません。ちなみに、私はプラハやブダペストはそれぞれ数十回行っているので、もう特に見たいところもないし、用があるといえば買い物くらいです。

プラハやブダペストは治安もウィーン程良くないし、町も複雑で初めて行った人は案内がいなければかなり時間を使わなければ効率よく回ることが難しい町です。

私は壁の開く前の1982年から何度となくプラハやブダペストに行っているので、どこが危ないかとかどう回れば主だった名所を数時間で見られるかとか、コンサートホールや楽譜屋や、美味しいレストランの場所などは概ねわかっています。ですが、これは私が30年以上にわたって自分のお金で何度も旅行して、自分の足で歩いた結果知っているのであって、知っているのが当然なことではありません。例えばブダペストなら、私は東駅に着いて30分後には一番大きな楽譜屋で楽譜を見ているし、そこに欲しい楽譜がなければ他の楽譜屋はどこにあるか、ヴァイオリンの修理屋はどこにあるか(そういう工房はアパートの一室や、狭い路地の奥の奥にあることが多くて、普通はすぐに見つけることができません)、昼はどのくらいの予算で、どのくらい空腹ならどこに行ったらいいかすぐに思いつきます。

プラハやブダペストだけでなくドイツや東欧の何十という町で、私はあてもなく何日も彷徨うことが多く、それで見つけた店や知り合った人も多いです。他人に連れられて行った場所はなかなか思い出せず、自分の財産になりません。

先日、ある大学で「若いうちに海外に行こう!」という講演会をしてきました。道がわからなかったり、言葉が通じなかったり、若いうちに海外で苦労をすることはとてもその人の財産になります。現地の日本人を当てにせずに、できるだけ長く休みをとって自分の足でいろいろなものを発見してみてはいかがでしょうか?

もし、海外在住の人に案内してもらうのであれば最低つぎのことを心がけましょう。
1.必要な物はないか事前にしっかり聞いて役に立つおみやげを持っていく。高価なものでなくてもそれはサランラップだったり、輪ゴムだったり洗濯ネットだったりする。
2.観光地を案内してもらう時には入場料やコンサートなどのチケット代、レストランなどでの食事代などは必ず自分の分だけでなく、案内してくれる人の分も出す(もちろん、うんと目上の人であるとか、経済的に明らかに格差があるなどそれはその人との関係によりますが)。
3.もし、エクスカーションなどでどこかに行く時には案内してもらう人の交通費や宿泊費を出すことはもちろん「その町にはもう何度も行ったことあるの?」と必ず聞く。もし、しょっちゅう行くような場所だったらそこは避ける。

今年の3月に指揮の弟子の藤田淳平くんが友達を連れてウィーンに来ました。私は「自分も行ったことない場所やそうとう長い間行ってない場所だったら案内するよ。そのかわり運転してね」という条件で17年ぶりのヴェネツィア、初めてのヴィツェンツァ、同じく15年ぶりな上前回ヴァイオリン博物館に入れなかったクレモナ、ズュースキントの「香水」を読んでからずっと行ってみたかったグラース、同じくずっと行ってみたかったローヌ河口のデルタ地帯、旅の途中偶然見つけた中世の城郭都市エイグ・モルトなどを堪能したのでした。こういう旅だったらいつでもOKです。

この楽しい旅行についてはまた次回!


2015年5月7日木曜日

原典版と「レコ勉」について(その2)

17世紀から20世紀中葉までの西洋のクラシック音楽の歴史を見てみると、楽譜に書かれた音楽をそのまま演奏することは、それほど一般的ではなかっただけではなく、そのようなことは演奏家の地位を低め、解釈の幅を制限してしまうものと考えられることもあった。それは、バロック全盛の頃から18世紀に至る音楽の歴史の中で、演奏家自身が大作曲家であることも多く、またイタリアバロックのように一定の装飾や即興を楽譜に加える事が演奏者の義務であった時代の名残でもあったが、バッハやハイドンが宮廷音楽家を務めていた時代と違い、19世紀の演奏家にはバロックの名手のような解釈や即興力よりも、楽譜通りに演奏する初見力と正確さが要求されるようになった。

指揮者でもあった作曲家のシュポーアは、イタリアのオーケストラが彼の作品を演奏するのを聴いて「演奏者たちがあまりに勝手に様々な装飾音を入れるので、それが自らの作品であることがわからないほどだった」と言っているが、マーラーの時代でもスコアに書かれた楽譜はそれほど重要視されず、恣意的な改変が行われたり、カットされたり、場合によっては演奏者によって書き足されたりして演奏されることが当たり前だった。マーラーは自らは改変者でありながら、ウィーンの歌劇場において行われていたこのような恣意的な改変をやめさせようとした。

ワーグナー(Richard Wagner 1813-1883)がその著書「指揮について」(Über das Dirigieren)で批判している恣意的な解釈について、ワーグナーよりも50歳年下の指揮者ワインガルトナー(Felix Weingartner 1863-1942)も同名の著書「指揮について」(Über das Dirigieren)で批判している。ワインガルトナーは主に、19世紀の最も著名な指揮者であったハンス・フォン・ビューロフ(Hans von Bülow)らの極端に誇張され、作曲者の書いたスコアの指示とはまったく無関係な解釈と、その解釈が一旦定着してしまった後に、巨匠の演奏と違う解釈で演奏することがいかに困難であるかを記している。

しかし、同じワインガルトナーが別の本「ある指揮者の提言、ベートーヴェンの交響曲について」(Ratschläge für Aufführungen Klassischer Symphonien)の中ではベートーヴェンの交響曲の中の楽器の用法、特に作曲当時の楽器の欠点やオーケストラの中でのバランスを挙げて、20世紀のオーケストラで演奏する場合にはスコアにどんな変更を加えたら良いかという提言を行っている。

こうした作曲家の書いたスコアに対する変更をリトゥーシェという(フランス語でRetouche、ドイツでもフランス語を使う。英語のレタッチ)。

実はマーラーやハンス・フォン・ビューロフをはじめとする19世紀から20世紀にかけて活躍した大指揮者たちが、作曲家の書いたスコアに様々に手を入れて「この方が良かろう」という演奏を始めた張本人たちである。また、往々にして大作曲家でもあった彼らの、そうした作品に対する「改変」は、もはやRetoucheの範囲を超えた改作であり「解釈」といえるものではない。

バロック期の巨匠たちも様々な装飾音や即興を交えて他人の曲を演奏したが、それとはまったく性質の違うものである。バロック期の大作曲家が他の作曲家の作品をどう解釈し、演奏していたかは、例えばバッハが編曲したヴィヴァルディのコンチェルトを見るとよく分かる。もちろん、バッハほどの人だから悪趣味な変更はしていないのはもちろん、作品の骨格や、和声など根本的なものを改変してしまっているケースは見受けられない。もちろん、テンポ設定については実際どんなテンポで演奏されたのかは今日では正確には分からないが、大きな変更は加えられていない。

ー続く

2015年3月1日日曜日

海外旅行のおみやげについて(1)

発言小町の「海外旅行で『頼まれた買い物』は小額なら『おみやげ』なの?」という質問が話題となっていたので私の意見。

私自身は海外旅行で基本的に自分と家族以外におみやげは買って行きません。

何故かと言うと、第1に比較的頻繁に海外に行く度におみやげなど買っていたら、お金がいくらあっても足りないし、荷物もおみやげでいっぱいになってしまうから。

第2に誰に何をおみやげに買おうなどと考えて、ちょうどいいものを探していたら時間がいくらあっても足りないから。

私のように1回の滞在が1ヶ月を超えることが多いような旅行でもそうなのだから、典型的な日本人の海外旅行のように1週間で何箇所も回るような旅行の場合、買い物のための時間が観光の時間を圧迫してしまうに決まっています。

私に言わせると、結婚式で高いお祝儀をもらった後の新婚旅行とか、高額なお選別をもらったのでなければ、おみやげなど買って行くべきではありません。

日本のような島国で、しかも海外旅行に行くことがまだまだ一般的ではなく、とても贅沢なことだと思われている国では、海外旅行に行ってきた人がおみやげを配るという行為は、ややもすると自分が海外に行ってきたことをひけらかす、いやらしい行為のように取られかねません。だからといって近所づきあいや友人や職場での人間関係によっては、海外旅行に行って何もおみやげを買ってこないのはすごくケチなように思われることもあるようです(だから日本の人間関係はウェットでめんどくさい!)。

しかし、私のように長年ヨーロッパと日本を行ったり来たりしていても、本当にいいおみやげと言うのはなかなか思いつかないものです。

まずは、その土地独自のもので、日本では手に入らないような気の利いたものというのはなかなかありません。ヨーロッパの場合、美味しいワインは各地にありますがよほど目利きでないとラベルとヴィンテージだけで美味しくて日本で売っていないようなワインを選ぶのは難しいです。まあ、ヨーロッパで50ユーロ以上出しておけば、そんなに外すことはないのですが外れ年の有名ドメインより当たり年の無名ヴィンツァーの方が往々にして美味しかったりします。

ハムやソーセージは美味しいですが日本には持ち込み禁止で、最近の麻薬取締犬はBSE騒ぎ以来肉類もくんくんするように仕込まれていますから、成田で取り上げられる可能性が大です。同様に乳製品も美味しいですが傷みやすいし、保冷パックでもないと運べません。

私は時々弟子にスコアを頼まれたりしますが、これはお互い様で私が頼むこともあるので、見つかる限り買っていきます。ですがこれは緊急時のみで、値段の方は大阪のササヤの方が安かったりします(特にベーレンライター原典版など)。

海外旅行に行った人がおみやげを買って帰らなければならないような習慣になったのは、実はパックの旅行の際に、長時間免税店に立ち寄らされるからです。旅行社は免税店から売上の何割かをキックバックされます(なので、免税店は通常の店や市内のスーパーより高いです)。よく「職場のみんなにおみやげを買って行かなくちゃ」と言って免税店で小さなものを沢山買い込んでいる人がいますが、パックの旅行でもなく、無理やり免税店に連れて行かれるわけでもないのに、無理をして職場全員におみやげを買って行く必要なんて有りません。本人も「これはバラマキ用」なんて言って買っているので、日本でも売っているようなチョコレートなどをもらってもちょっと知っている人なら嬉しくないし、日本でも売ってないようなものはもっとどうってことない場合もあります。

1週間ほどしかない滞在で、お土産物屋やデパートを見ている暇があったら、ウィーンなら一つでも多くの美術館や博物館を見て、少しでも多くのコンサートやオペラに行くべきです。ここは「音楽の街」ですから!

って言うと、身も蓋もないのでおみやげに良さそうなものを少しだけ挙げると。

1.私の一番のおすすめはシュタイアマルク産のフェルトの室内履き。靴型のとスリッパ型のがあるけど、どちらもシュテファン寺院の裏手のManner Shopの隣の民族衣装やさんで売っている。フェルトの室内履きはよく売っているけどどれもペラペラで、裏は革ないし合皮の物が多い。でもこれは靴底までフェルトで通気性がよく、冬暖かい上に夏でも素足でそのままはいてべたつかず、何年も履けます。そして、汚れたらウール洗剤でよく洗ってよく洗剤をすすぎ(必ずウール洗いのコースで洗うこと!)日向で3日位乾かす(こちらなら温水ヒーターの上に乗せておけば1日で乾く)。


2.デーメルの「割れチョコ」レジの向かいの狭い部屋の方にあります。割れチョコは普通のの何分の1かの値段だけど品質は同じだし量が多いです。そして、普通に可愛い袋に入っています。種類は3種類ほどだけどMilkaやRitterよりもきめが細かくて口の中で上品に溶ける。

3.建築関係などの専門書や写真集。分厚くて写真がきれいな上、図版も多いので皆さんにぜひ勉強してもらいたいです。

ドブリンガーの古楽譜コーナーは残念ながら昨年長い歴史を閉じ、ベルリン、ミュンヘンとともに大きな古楽譜屋はすべて閉店してしまいました。楽譜の買い方の話はそのうち改めて書こうと思います。

次回は「海外に住んでいる人が海外旅行に来た人を案内するのはすべて自腹?」というのを書こうと思っていますのでお楽しみに。