2015年6月5日金曜日

原典版と「レコ勉」について(その3)

昨今は「原典版」(Urtext)と称する楽譜が様々印刷されて、実のところ何をもって「原典版」と称するのかがよくわからなくなっている。例えばベーレンライター版の「新モーツアルト全集」や「新バッハ全集」においてはスコアに書かれている楽器の順番や音部記号はすべて近代以降の書き方に直されている。

フィガロの結婚の手稿
モーツアルト自身は総譜を上の段からViolin、Violaと書いて、その下に管楽器をまとめて書き、その下に声楽のパート、そしてチェロやバスという順番でほとんどのスコアを書いている。今日の楽譜はスコアの最上段はフルートから始まる管楽器、そして金管楽器、弦楽器というふうに書かれている。バッハの書き方は管楽器が上段である。


ヨハネ受難曲の手稿

いずれの全集でも声楽のパートはすべてト音記号の高音部(ヴァイオリン)記号とヘ音記号のバス記号で印刷されているが、本来はソプラノはソプラノ記号、アルトはアルト記号、テノールはテノール記号で書かれていた。そのため、今日ではソプラノ記号の読めないソプラノ歌手、アルト記号の読めないアルト歌手、テノール記号の読めないテノール歌手、といった使いものにならない人罪はが世に蔓延するようになった。














ヨハネ受難曲の印刷譜





「新バッハ全集」においてはまるでプロコフィエフのスコアのようにホルンのパートまでがin Cで印刷されているが、本来in Fであったホルンの譜表をin Cで印刷すると下に下線がたくさんついた譜面になるし、パート譜は当然in Fで書かれているので練習の際に奏者にむかって話すときにいちいち「実音の何の音」と言わなくてはならないので、大変に煩わしい。


「新モーツアルト全集」においては校訂者が丸いスタカートとくさび形のスタカートを意識して書き分けてくれているのである程度参考になるが、「新ベートーヴェン全集」においてはスタカートはすべてくさび形のスタカートに統一されている。これは実のところ大変不自然である。




こうして多くの改変が行われたスコアが「原典版」として出版されているわけだが、実のところ演奏上でどの版を使っているか聴き分けることはほとんど無理だろう。何故なら演奏技術の上でこれらを「弾き分ける」ことはほとんど不可能で、注目されるべき点はどの版を使うかよりも、以前からあるブライトコプフ版などにも印刷されていたベートーヴェンのテンポを実際に採用するか否か、ということのほうがはるかに聴いている人に分かりやすいからだ。

「今度演奏する曲を、どの版で演奏したらよいですか?」という質問を受けることがよくあるが実際選択肢はそれほど広くなく、また「どの版が音楽的により作曲者の意図に近いか」ということよりも、どの版が手に入りやすいか、あるいは多くのオーケストラはどの版を所有しているであろうか、ということのほうが版を選ぶ場合により重要な基準となる。

ブランデンブルク協奏曲第3番の手稿
私自身はバッハについては上記のような読譜上の問題からある一定の、頻繁に演奏されるレパートリーについては旧全集版の、それも19世紀に出版されたブライトコプフ版のスコアを使うことが多い。






モーツアルトはある程度網羅的に出版されている方が便利で、その際に記譜の仕方がいちいち違っていると煩わしいので、新全集を使うことが多い。

ベートーヴェンは本当はヴィースバーデン版のブライトコプフが一番使いやすいのだが、最近は手に入らなかったり、オーケストラが持っていないことも多いのでベーレンライター版を使うことが多い。

このように、どの「原典版」を選ぶかは音楽的な理由よりも現実的なエネルギーをなるべく節約する方法が取られることが多い。

ブダペストでマーラーの4番を演奏した時、協会版の楽譜が手に入らず、初版のパート譜に10日位かかって手を入れて協会版と同じ音に直して演奏したが、今からしてみると大失敗であった。第一に自分がスコアを読むべき時間を大分無駄にした。第二に「初版による演奏」とことわって演奏すれば、それはそれで希少価値が高かったはずである。実はこの曲の「初版による演奏」を私は聴いたことがないし、マーラー自身によるその後の校訂をそれほど金科玉条に守る必要もなかったのである。

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