2015年5月7日木曜日

原典版と「レコ勉」について(その2)

17世紀から20世紀中葉までの西洋のクラシック音楽の歴史を見てみると、楽譜に書かれた音楽をそのまま演奏することは、それほど一般的ではなかっただけではなく、そのようなことは演奏家の地位を低め、解釈の幅を制限してしまうものと考えられることもあった。それは、バロック全盛の頃から18世紀に至る音楽の歴史の中で、演奏家自身が大作曲家であることも多く、またイタリアバロックのように一定の装飾や即興を楽譜に加える事が演奏者の義務であった時代の名残でもあったが、バッハやハイドンが宮廷音楽家を務めていた時代と違い、19世紀の演奏家にはバロックの名手のような解釈や即興力よりも、楽譜通りに演奏する初見力と正確さが要求されるようになった。

指揮者でもあった作曲家のシュポーアは、イタリアのオーケストラが彼の作品を演奏するのを聴いて「演奏者たちがあまりに勝手に様々な装飾音を入れるので、それが自らの作品であることがわからないほどだった」と言っているが、マーラーの時代でもスコアに書かれた楽譜はそれほど重要視されず、恣意的な改変が行われたり、カットされたり、場合によっては演奏者によって書き足されたりして演奏されることが当たり前だった。マーラーは自らは改変者でありながら、ウィーンの歌劇場において行われていたこのような恣意的な改変をやめさせようとした。

ワーグナー(Richard Wagner 1813-1883)がその著書「指揮について」(Über das Dirigieren)で批判している恣意的な解釈について、ワーグナーよりも50歳年下の指揮者ワインガルトナー(Felix Weingartner 1863-1942)も同名の著書「指揮について」(Über das Dirigieren)で批判している。ワインガルトナーは主に、19世紀の最も著名な指揮者であったハンス・フォン・ビューロフ(Hans von Bülow)らの極端に誇張され、作曲者の書いたスコアの指示とはまったく無関係な解釈と、その解釈が一旦定着してしまった後に、巨匠の演奏と違う解釈で演奏することがいかに困難であるかを記している。

しかし、同じワインガルトナーが別の本「ある指揮者の提言、ベートーヴェンの交響曲について」(Ratschläge für Aufführungen Klassischer Symphonien)の中ではベートーヴェンの交響曲の中の楽器の用法、特に作曲当時の楽器の欠点やオーケストラの中でのバランスを挙げて、20世紀のオーケストラで演奏する場合にはスコアにどんな変更を加えたら良いかという提言を行っている。

こうした作曲家の書いたスコアに対する変更をリトゥーシェという(フランス語でRetouche、ドイツでもフランス語を使う。英語のレタッチ)。

実はマーラーやハンス・フォン・ビューロフをはじめとする19世紀から20世紀にかけて活躍した大指揮者たちが、作曲家の書いたスコアに様々に手を入れて「この方が良かろう」という演奏を始めた張本人たちである。また、往々にして大作曲家でもあった彼らの、そうした作品に対する「改変」は、もはやRetoucheの範囲を超えた改作であり「解釈」といえるものではない。

バロック期の巨匠たちも様々な装飾音や即興を交えて他人の曲を演奏したが、それとはまったく性質の違うものである。バロック期の大作曲家が他の作曲家の作品をどう解釈し、演奏していたかは、例えばバッハが編曲したヴィヴァルディのコンチェルトを見るとよく分かる。もちろん、バッハほどの人だから悪趣味な変更はしていないのはもちろん、作品の骨格や、和声など根本的なものを改変してしまっているケースは見受けられない。もちろん、テンポ設定については実際どんなテンポで演奏されたのかは今日では正確には分からないが、大きな変更は加えられていない。

ー続く

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