2008年11月13日木曜日

世界の景気がわかる情報収集法

アエラ、11月10日号本田直之「非レバレッジ投資術」
http://www.aera-net.jp/summary/081031_000453.html
を読んで、なるほど私と同じだと思った。

私も昨年以前に株暴落、ユーロ暴落を予測していたが
あまり具体的な話しだと思って聞いてもらえなかった。

本田氏も世界を回って現地で様々な生産者と交流して
情報を収集しているらしい。

その中に「ワイン」があったのが納得。

ワインには一定のスタンダードがあって
その国の購買力平価を計る上で一定の基準となる。
つまり、まずいワインを高値で売っている国の通貨は
バブル状態にあり、インフレの危険が高いのだ。

しかしそのためには、ある程度ワインの味がわからなくてはならない。

もちろん、高級ワインになるほど嗜好が加味されるし
ヴィンテージ物は希少性故に高価なので、そうではない
一般に消費されるワインの味がわかれば充分である。

日本では最近ワインが安くなって来ている。

円の本来の価値が強いのだ。

アイスランド程ではないが、異常な高金利で
世界中から金を集める事で値上がりしていたユーロは
その紙幣一つを見ても、実に安っぽい印刷で紙も薄く、
実際以上の価値が上乗せされていたのは一目瞭然だった。

2001年まで50ペニッヒ(26セント)だったコインロッカーが
突然2ユーロとなり、公衆トイレは同じく50ペニッヒが80セントに
食事は20マルクが20ユーロになれば、実際の新通貨の価値は
半分以下しかない事は誰にでもわかるはずだったのだ。

ユーロ移行時の円/マルクのレートは概ね65円くらいだったから
ユーロの実際の価値はその程度しか、いやそれ以下しかないのだ。

ある意味、通貨導入時の激しい便乗値上げ(=インフレ)が
食い止められなかったECBにその責任があると言えよう。
そしてECBはこれがインフレ=通貨の価値の損失で、実際には
国民を欺いて預貯金、給与の価値の半分以上をECBが搾取していた
ことを、マルクスの国、ドイツの国民がなぜ気付かなかったのか?

東西の壁の崩壊、社会主義国の消滅を資本主義の勝利の様に
誤解して、社会主義の理論すべてが間違っている様に錯覚した
資本主義経済は環境破壊、人口爆発、市場経済の崩壊と
より壮大で壊滅的な終末に向かって突き進んでいる様に見える。

2008年10月1日水曜日

ブドウの収穫

Prof. G. はミュンヘン在住、有名なチェリストである。
知り合ったのは1989年だが、1978年に当時の東独から西独に亡命、
各地のオーケストラで首席奏者を務めた。

1996年にハンガリーの田舎に土地付きの大きな農家を購入。
いろんな種類のブドウを植えて自家製ワインを作るのを趣味としている。

実はこのハンガリーの田舎、バラトン湖の近くで、付近には温泉もいくつか湧いている。ミュンヘンフィルの主席ヴィオラ奏者だったP.氏の別荘もすぐ近所で、以前うかがったことがあったが、P氏は2002年にガンで亡くなってしまった。

それ以来訪れていなかった地をしばらくぶりに訪ねる。

行きはウィーン郊外で教授に拾ってもらう。

ドイツ人なので、車の運転はともかく速い。

途中で巨大なイノシシにぶつかりそうになったりしながら、
2時間ほどでハンガリー南部の村に到着。


 プールの様な物もある。Schwimmteicheだそうだが、
日本人的には泳げない感じ。沼みたい。

 家の前には飾りのぶどう棚が。きれい。

 家の前には飾りのぶどう棚が。きれい。

家の裏にはテニスコートほどの庭があり、

庭を隔ててぶどう畑。








 早速ブドウを収穫。
もう暗くなってしまったが、刈り取ったぶどうを潰す。機械を買う前は大変だったそうだ。




 これは熟成用の樽。




 ワインケラーの入り口、地下7mだそうで、
かなり深いけど寒くはない。




ケラー内部。12畳くらい。
年にもよるが180lくらいのワインができるそうです。




 台所は薪オーブン。




今年は夏前に雨が多く、農薬を撒くタイミングも逃したそうで
傷んでいるぶどうが多い。




 こんなきれいな虫もいました。




 リンゴもたわわ。


ワイン農家は訪ねた事があるが、
実際刈り取りをしたのは初めて。
傷んだぶどうを見て、
何でBeerenausleseって言うのか初めてわかった。
これは手間がかかって高い訳だ。
帰りは近くの温泉町からウィーンまでバスに乗った。
行きは2時間だった所が4時間かかった。
ドイツ人の運転は速い。




家に持って帰った戦利品。サラミ以外はすべてこの家の土地から採れたもの。









なお、G教授の家の隣の土地1Ha(ぶどう畑付き)が売りに出ているそう。
東京ではワンルームマンションも買えない値段です。
興味のある方はどうぞ。

2008年9月13日土曜日

ザルツカンマーグート



マーラーが夏を過ごしたガストホーフ
 ニンニクスープは国によってこんなにも違う


 いたちゃんが食べたやまめ



 私はZander。ドイツ語の辞書によると「蛍雑魚」と言うんだそうだが
独英にはパーチパイクって書いてあるぞ。もっとまともな日本名は無いのか!


 マーラーの記念碑


 マーラーの作曲小屋 ここで3番を書いたんだそうな。



マーラーのピアノ



 アッター湖 水はとてもきれい




 St. Wolfgangへ ここのホテルはPostって言ったんだけど
となりの白馬亭に買い取られてしまった。


 いたちゃんが食べた鱒


 夜のSt. Wolfgang


アンスフェルデンのブルックナーの生家 初めて行ったのに閉まっていた!
日曜の午前、午後と水曜の午後しか開いてないそうな。



 続けてSt. Florianに
2度目だがなかなかでかい。











大理石の間 お城より立派!










ブルックナーの棺
前回棺に手をついて写真を撮ったりしたのでロープを張られてしまった!
後ろには沢山のホネが!



チャペルでは結婚式をやっていた

2008年8月8日金曜日

自然と芸術

ドイツ語で自然はNatur 芸術はKunst だけど、この2つはヨーロッパ人には明らかに対立概念だ(並列概念ではない)。

ウィーンには有名な自然史博物館 Naturhistorisches Museum と
美術史博物館 Kunsthistorisches Museum マリア・テレジア広場を挟んで対称に並んでいる事でもわかる。

「自然と解け合った芸術」なんて物は無い。

Natur とは自然の力でできたもの、Kunst とは必ず人間の意志が働いて、自然には存在しない物が作られた時に言う。

だから Kunst は芸術だけど Kunstlich は「人工的な」という意味だし、
Kunststoff だと化学繊維(物質)になる。

難しい前置きはどうでも良いが、昨日、今日と2日連続で Oberlaa に行って来た。
http://www.oberlaa.at/

どうにも暑くてたまらないので、サウナに入れば相対的にその後の外気が涼しく感じられるだろうと言う、非常に人工的に自然に立ち向かう方法。

この町外れの丘の向こうにある温泉は、市内では最も広い公園の一つの面していて、南側の斜面ではあるがすでに市街地より2、3°涼しい感じがする。

日本ではなるべく自然な感じの露天風呂などが好まれるが、ここのサウナなどは非常にKunstlich。

しかし、やはり長い歴史のあるウィーンの事、サウナ一つとってもきちんと作法がある。

利用前にシャワーを浴びるなど、当たり前の事は壁に説明が貼ってあるが、はじめの頃よくわからなかったのはサウナに入ってからの作法である。

今日は昼間だったのでさほど混み合っていないが、小さいサウナだとほぼ満員になることもある。もちろんとなりの人とふれあうなどはもってのほか。

ふれあいの湯などとというおぞましいネーミングは日本だけである。

当たり前の事だが、中のベンチは上段に行くほど熱い。もちろんベンチは熱くないが、そこに座っていると熱くなるのである。従って、自分の体調や、好みに従って、ちょうどいい場所を確保しなくてはならない。

しかし、あんまり早くサウナに入ると、ドアが閉まる頃にはすでに苦しくなってくる。時々最上段で一番はじめから寝ている猛者もいるが、やはりヨーロッパ人はアフリカ探検をしても生きて帰って来られたのがわかる。

さて、ランプが赤に変わると誰かがドアを閉めるのだが、時として太ったおじさんがドアのしまる前から入り口に立ってタオルを回していることがある。

こういう時は割とついている時だ。念のため、このおじさんは係員などではない。つまり、常連客であり、サウナにこだわりのある、やる気のあるボランティアである。こうしたおじさんは、毎日の様にサウナに通って、タオルの振り方を研究しているのである。

しかし、そこまでの猛者でなくても、ドアが閉まると通常必ず誰かが立ち上がる。桶の水を柄杓ですくってサウナストーブの上の溶岩に掛け、大きな備え付けの布を使って一同を扇ぐのである。

日本のサウナにはこの Aufgus と言う物が無いおかげで、快感は何分の一しか無い。というか、まあ言い方は適切かどうかわからないがオルガスムがないのである。

第一に溶岩に水をかける場合、部屋の大きさ、人数、どんな人がいるかによって、掛け方は大幅に変わってくる。部屋が小さければ少し掛ければよく、お年寄りばかりだったらあまり急激に掛けては誰かが心臓マヒを起こすかもしれない。逆に若い常連ばかりで盛り上がっているなら、桶の半分くらいは一度に掛けてしまわないと、皆の期待に添えなくなる。

ここまででもかなりの修行を要するのである。しかし、後半の布の振り方はますます奥の深い物があり、これはまさに Kunst 、技の世界である。当然布の振り方によって風の強さ、スピード、衝撃、風の起こる範囲などが違うから、風を受ける方の感じ方も全く違ってくる。

日本のサウナの様にただ中に入って座っているだけでは、サウナストーブの熱を受けるだけだが、溶岩に水を掛け、徐々に、あるいは一気に蒸発した蒸気を布で肌に当てると、瞬間的に鳥肌の立つ様な快感が起こる。この事を私は Oberlaa で初めて体験したのである。

よく、力任せに振っているレスラーみたいなオヤジがいるが、風はちっとも回らなかったりする。

昨日はなかなか上手な常連のオヤジがいて、ブラボーも出ていた。

今日は1回目はおばさんだったが、柔らかい風ではじめたかと思うと、後半突然上段に仁王立ちになり、扇風機の様にサウナ全体の空気を回転させる名人芸を演じたのだった。

今日の2回目は隣のオヤジがボランティアに立ったが、回転する布が2回ほど私の頭に当たった。

しかし、誰が立っても人種、年齢、性別に関係なく、まんべんなく風が当たる様に配慮するあたりも芸術的である。

久しぶりなので、昨日も今日もサウナは2回だけにして、あとは蒸し風呂に5分ほど入った。体重計に乗ったらだいぶ軽くなっている。

プールやジャグジーも一通り入ったが、やはり一人で行くと時間が余ってしまう。気温が25°以上の日に適用されるSonnentarif って言うのもあったがそれは一日中入っている人用の割引だった。

外に出るとやはり効果絶大に涼しい。今日は市電に乗らず、丘を越えて公園の反対側のバス停まで歩いた。公園の緑がまぶしく、丘の上からは遠くにアルプスの山々も見えた。

家に帰っても同じ気温とは思えないほど涼しい。

芸術は偉大だ。

2008年7月8日火曜日

大学での講演

昨日は知人のM準教授のお招きで、千葉県内の大学で講演会をさせていただいた。何を話しても良いと言うお話だったので、こちらからお送りしたテーマは「産業革命・市民革命と音楽」だったが、先日日経新聞に載った著作権の話しもオープニングに少しだけする。

朝方のにわか雨の影響で鉄道のダイヤが乱れていた上、Google mapで検索して、大学の一番近くの駅に降り立ったのが間違い。大きな駅と違ってタクシーが無いので重い鞄を持って15分ほど歩く事に。

予定時間よりは早く着いたが、すっかり汗ビショになってしまった。

控え室でエアコンをがんがん入れて汗を乾かす。環境問題に取り組んでいる最中に申し分けないが、汗が引かないと講演はできない。

何しろ、先日パソコンのHDがお釈迦になって、過去の講演から引用ができないのでにわか作りの資料で心配だったが、まあ、1時間話すのに資料は無くても十分である。

大学で教えていた時は階段教室でもマイクを使わなかったが、600人も入る部屋だと言う事であきらめてマイクを持って話した。

「今の学生は態度が悪いのでごめんなさい」とあらかじめ言われていた割りには熱心に聴いている学生が多かった。きっとその場でレポートを出させるシステムが良いんだろう。

一般大学だから、音楽の知識は無い事を前提に話すが、理系の学生が多いと歴史の話しもわからないのはつらい。

イギリスの産業革命とフランス革命とどちらが先かも、前提から話して行かなくてはならないので、あまり細かく話すと時間がいくらあっても足りないし、専門外の話しをそんなに長くされても何も覚えていられないだろう。

約1時間で講演を終えたが、学生は静かに聴いていた。
敢えて言うなら飲み物を持ち込んで飲んでいる学生が何人かいて、ちょっと気になった。おしゃべりや居眠りはほとんどいない。

持論だが、学生におしゃべりや居眠りをさせる教員は、話しが下手なのか話しの内容が面白くないのかのいずれかだ。聴き手の興味を惹き付けられないのに、聴いている態度が悪いとは開き直りではなかろうか?

講義が終わって研究室で待っていると、秋葉原のクイックガレージから電話がかかって来た。先週末に修理に出したiBookが直ったらしい。

秋葉原によって修理品を受け取ると腕が抜けそうに鞄が重くなった。ついでに講演の謝礼が修理代にすっかり消えた(涙)。

2008年6月6日金曜日

ハナは紅・・・

日経新聞の方から「アリアドネ裁判」http://tyosaku.hanrei.jp/hanrei/cr/1927.html
についての取材がしたいと言う連絡があり、退院後10日ほどにして昨日、やっと上野まで出かけることにした。

待ち合わせは東京文化会館2Fのレストラン。昔精養軒だった頃はずいぶん文化会館に通った物だった。日本フィルの会員だった中学生、高校生時代、音大時代もいろいろな公演に裏口入場した物だ。有名な指揮者や作曲科の先生の裏口入場マニュアルは当時まだそのまま使えたので、外国のオーケストラやオペラの公演もほとんど無料で聴けた物だ。

それはさておき、私が弁護士を頼まずに自分で法廷に立って、イギリス最大の音楽出版社ブージーアンドホークス社を相手に最高裁まですべての判決を勝訴した「アリアドネ裁判」、敗戦国日本に押し付けられた有色人種差別の「著作権戦時加算」、その他著作権の70年伸張問題や日本に置けるアートマネージメントの問題など、熱心に聞かれるままに予定を30分ほどオーバーして熱く語った私の中で、血圧も少々上昇したらしい。

ただでさえ術後10日近く口呼吸で血圧は180近くなっている。話し終わって立ち上がろうとした時に鼻の奥を何かが流れる感じがした。

おしぼりで押さえたけど血がにじんでしまった。とりあえず駅まで行ってトイレに入り、鼻の穴にティッシュを詰め込む。

これで浦和までは何とか持った。しかし駅前で買い物をしている最中に詰め物の隙間から血が流れ始めてあわててハンケチで押さえる。

トイレに駆け込んだがどうやら普通の出血ではない様だ。ティッシュを丸めている間にだらだらと流れて、とても詰め込むどころではない。あわてて隣の交番に駆け込んで上を向いたまま救急車を呼んでもらうことにした。

夕方のラッシュ時だが救急車はすぐに到着。但し搬送先の病院が決まるまでかなり待たされる。私は自分のオペを受けた病院を言ったのだが、先方と搬入についての合意ができるまでは運び込めないらしい。

病院に着くとたまたま主治医の先生が残っていらしたので、処置をしていただけることに。とはいっても術後と同じ様にハナの穴一杯、パンパンにガーゼと圧縮スポンジを詰め込むことになった。手術の際と違うことは、麻酔がかかっていないこと!

大人なので我慢しましたが場所も場所だけに涙はボロボロ出るわ、顔の真ん中はパンパンになるわ耳は聞こえなくなるわ、かなりの拷問です。

さて、問題はそれでも血が止まらなかったこと。

病院を出る際にもう一度研修医の先生に確かめましたが、そのうち止まるとのこと。夜8時頃支度に着いたがまだとまらない。

深夜11時頃血は止まらない上にあまりに苦しいので自分で詰め物を抜く。

その後、少し落ち着いて来たので横になったが、くしゃみや咳が出るたびにまた血が出始めて眠れず、また自分でティッシュを詰めているうちに今まで垂れるほどだった血が吹き出す。

再度救急隊に出動を要請。

病院に着いたのは2時過ぎでしたが、再び主治医の先生が駆けつけてくださいました。詰め物を取ってしまったので怒られるのは覚悟の上ですが、木曜日はオペの日だし、お疲れの所深夜に呼び出すはめに。

再び麻酔なしでぎっしりと詰め物をされ、今度は出血も止まった私は、am4時頃、「来週月曜日まで絶対取ってはいけません」と、きつくお灸を据えられて帰路についたのでした。

来週お会いする予定の方は、そういう訳で週後半になると思いますので、またご連絡します。

2008年5月26日月曜日

ハナを切りました

花ではありません。鼻です。
1週間入院していました。
切ったのは内側なので見てもわかりません(扁桃腺の時と同じ)。
メス(♀ではない)ノミ、ドリルなどいろいろ使って切ったらしいですが、
全身麻酔をされていたので、記憶はありません(幸い)。

毎度思うのですが、全身麻酔されるときは気持ちよく意識が無くなって、
夜寝る時の様に「寝なきゃ!寝なきゃ!」というプレッシャーもなく、
「このまま永久に目が覚めないと良いなー」と感じます。

事実、あのまま心臓も止まってしまえば、最も苦痛の少ない死に方では?

逆に、麻酔が覚める時は今回も地獄のようで、
何しろ、一気に痛い!
鼻を思いっきり殴られた時の様だ(ノミで削ったそうなので)。
しかも、鼻の中にはこれでもかと言わんばかりに
ガーゼが詰め込まれています。

そして、鼻呼吸できないこと4日間、今朝やっとガーゼを抜いてもらえました。そして、快適に鼻呼吸できたのもつかの間、鼻は再び鼻汁と綿球で塞がれてしまったのでした(合掌)。

半世紀にわたって悩まされて来た鼻づまりから解放され、快適な鼻呼吸ができるのはもう少し先のことの様です。

2008年4月28日月曜日

またか!ICE脱線事故

http://www.tagesschau.de/inland/ice2.html

http://www.faz.net/s/Rub5785324EF29440359B02AF69CB1BB8CC/Doc~EED77D376F49A4D2DB5E1F5DD4D954A73~ATpl~Ecommon~Sspezial.html?rss_rhein_main_zeitung

トンネル内に入り込んだ羊の群れにぶつかったとのことだ。いかにもドイツらしいが、写真を見るとやはり10年前のエシュデの事故の時と同じ両端が機関車になっているタイプの第1世代のICEだ。この車両の走行安定性はやはり疑われるのではないだろうか?日本の新幹線車両は同じ様な状況で脱線するだろうか?

1964年の開業以来、数十倍の旅客を運びながら営業中の旅客には一人の人身事故も出していない新幹線に、ドイツICEはまたも水をあけられた。営業キロ数あたりの事故も日本よりずっと多く、DBを頻繁に利用する身としては、不安を感じざるを得ない。

そもそも、新幹線にも感じることだが、鉄道をこれほど高速で走らせる必要はあるんだろうか?

私は名古屋からの上り線でいつも感じることだが、小刻みな横揺れ、かなり大きな振動、すれ違いや追い抜きの時の衝撃など、新幹線に乗っていることは、あまり快適なことではない。どちらかと言うと「負の」感覚である。

この辺が、ヨーロッパの在来線の旅と大いに違う所だ。特に,オーストリアの鉄道は、私が初めて旅をした当時から保線が驚くほど行き届いていて、直線区間だと振動がほとんどない。夜間など、眠っていてふと目覚めたとき、列車が走っているのか駅に止まっているのかわからないことすらある。ポイントを通過する時や、窓の外の照明がちらちらするのを見て、初めて走っているのに気がつくほどだ(日本でも保線用の車輛はほとんどオーストリア製である)。

ウィーン~ザルツブルクもさほど悪い景色ではないが、グラーツ~ザルツブルクなどの区間は窓の外の景色が本当にきれいで、ゆっくり走ってくれているのがうれしい限りである。

ヨーロッパにいると、用がなくても鉄道に乗って旅に出かけたくなる。新幹線やICEは(TGVも)目的地に早く到着するための道具ではあるが、旅を楽しむためのものではない。

そういえば、私の大好きだった「グランドひかり」の食堂車が廃止されてしまってから久しいが、ヨーロッパの主要区間の特急には今だに必ず食堂車が付いている。