2015年6月29日月曜日

ギリシャのデフォルトとユーロ離脱により何が起こるか

ギリシャのデフォルトとユーロ離脱についてはすでに多くの人がブログ等に書いているが、以前にも巨大経済圏、EUの行方ユーロ崩壊後のシナリオとは?にも書いてきたので、今後の問題点についていくつか指摘しておきたい。
巨額な負債を抱えたギリシャの離脱自体はユーロ圏にとってプラス要因であるが、ギリシャが支払不能に陥ればドイツ、スイス、オーストリアのいくつかの銀行は巨額の損失を被ることになる。

マーケットハック、ギリシャが「月曜日には銀行を開けない」と宣言 プレッシャーはメルケル首相への筆者はデフォルトしたアルゼンチンについて書いているが、今回のギリシャの場合、まったく別の問題がある。アルゼンチンはデフォルト後も自国通貨のペソを使い続けることが出来たが、ギリシャはユーロを離脱すればいつまでもそのまま自国通貨としてユーロを使い続けることはできない。いずれかの時点でギリシャは自国通貨であるドラクマを再導入し、ユーロを交換しなくてはならない。ギリシャがユーロを離脱してドラクマに戻る場合、通貨の切り替えのためには膨大なコストがかかる。ギリシャはこのコストを自己負担して新紙幣と硬貨を導入しなくてはならないが、この新ドラクマが難しい問題を提起することになる。

まず第一に、ユーロ導入の際と違いかなり無計画に起こった今回のデフォルト騒ぎとユーロ離脱にあたり、ギリシャは恐らくまだドラクマの紙幣や硬貨を準備していない。だとすると、ドラクマが用意されるまでの数カ月なりの間、ユーロは流通する唯一の通貨として使われ続けなくてはならない。しかし、ECBの側からすると債務を償還しないギリシャの国内に流通しているユーロは本来はECBが没収しなくてはならないものであり、ギリシャがいつまでもこれを自由に使い続け、ギリシャの富裕層がユーロを使って資産を国外に移転させるのを手をこまねいて見ている訳にはいかない。したがって資金の移転について厳しい制限をかけてこれを監視し、国境や空港を封鎖してでも違法な資金の移動を防がなくてはならない。なので、ギリシャへの出入国は厳しくチェックされる他ギリシャからのユーロの持ち出しには制限がかけられる事になるだろう。ギリシャから持ちだされるユーロは最悪の場合没収され、ギリシャ国内で流通するユーロには大きく「Greek」とか「G」とかいうスタンプが押されるかもしれない。こうしたユーロはギリシャ以外の国ではドラクマとしてしか通用しなくなるので、事実上紙切れになる。また、ユーロの両替には「どこで手に入れたユーロなのか」などを示すための両替や支払いの証明書の提示が必要となるかもしれない。

第二に、導入と同時にドラクマはユーロに対して急激にその価値を下げ続けることになる。ドラクマが復活する場合、旧ドラクマのユーロに対しての固定レートを復活させる場合と、1ドラクマをとりあえず1ユーロとパリティ(等価)で交換し始める2つのパターンが考えられるが、いずれにしても何の担保もなく信用の裏付けのないドラクマは導入と同時に急激に下落を始め、場合によってはハイパーインフレに近い様相を取るかもしれない。だとすると、誰がいったい持っていれば数日で紙切れになってしまうかもしれない自国通貨とヨーロを交換したがるだろうか?

第三に、ギリシャ国内のATMやクレジットカードの利用は当座限度額が設定されるか、あるいはまったく不可能になるかもしれない。しかしその後ギリシャはATMや自動販売機、両替機などの導入コストを抑えるため、新ドラクマの大きさやデザインを可能な限り現在流通しているユーロに近いデザインとするだろう。そしてこのことがさらに大きな問題を引き起こす可能性がある。すなわち、導入と同時に大きく下落するであろう新ドラクマがユーロ圏の国に持ち込まれれば、その国のATMは現在のユーロ紙幣と新ドラクマを判別することができなくなる可能性があるのだ。ECBとしてはこの事態は絶対に避けたいだろうが、もともと500ユーロ紙幣の製造原価が5セントと言われているほど、安く作られているユーロの紙幣や硬貨には偽札や偽硬貨が大量に出回っていて、商店などでは今でも500ユーロ、200ユーロの受け取りを拒否するところが多いほどだ。もし、ギリシャが国内のATMや自動販売機でそのまま使える新ドラクマをユーロそっくりに作って導入すれば、数カ月後には100ユーロ紙幣の10分の1しか価値のない100ドラクマ紙幣がユーロ圏に持ち込まれ、100ユーロとして使われることになりかねない。そうなれば、各国の銀行や鉄道などはATMや自動販売機の使用を中止せざるを得ず、各国の経済は大混乱となることだろう。

まもなく日本の外為市場が開くが、世界のマスコミと金融関係者が東京市場でのユーロの動向に注目している。もしヘッジファンド再びがユーロを売り叩こうとすれば実際にギリシャのデフォルトがユーロ圏に与える影響とは比べ物にならない売り圧力がユーロにかかるかもしれない。



2015年6月5日金曜日

原典版と「レコ勉」について(その3)

昨今は「原典版」(Urtext)と称する楽譜が様々印刷されて、実のところ何をもって「原典版」と称するのかがよくわからなくなっている。例えばベーレンライター版の「新モーツアルト全集」や「新バッハ全集」においてはスコアに書かれている楽器の順番や音部記号はすべて近代以降の書き方に直されている。

フィガロの結婚の手稿
モーツアルト自身は総譜を上の段からViolin、Violaと書いて、その下に管楽器をまとめて書き、その下に声楽のパート、そしてチェロやバスという順番でほとんどのスコアを書いている。今日の楽譜はスコアの最上段はフルートから始まる管楽器、そして金管楽器、弦楽器というふうに書かれている。バッハの書き方は管楽器が上段である。


ヨハネ受難曲の手稿

いずれの全集でも声楽のパートはすべてト音記号の高音部(ヴァイオリン)記号とヘ音記号のバス記号で印刷されているが、本来はソプラノはソプラノ記号、アルトはアルト記号、テノールはテノール記号で書かれていた。そのため、今日ではソプラノ記号の読めないソプラノ歌手、アルト記号の読めないアルト歌手、テノール記号の読めないテノール歌手、といった使いものにならない人罪はが世に蔓延するようになった。














ヨハネ受難曲の印刷譜





「新バッハ全集」においてはまるでプロコフィエフのスコアのようにホルンのパートまでがin Cで印刷されているが、本来in Fであったホルンの譜表をin Cで印刷すると下に下線がたくさんついた譜面になるし、パート譜は当然in Fで書かれているので練習の際に奏者にむかって話すときにいちいち「実音の何の音」と言わなくてはならないので、大変に煩わしい。


「新モーツアルト全集」においては校訂者が丸いスタカートとくさび形のスタカートを意識して書き分けてくれているのである程度参考になるが、「新ベートーヴェン全集」においてはスタカートはすべてくさび形のスタカートに統一されている。これは実のところ大変不自然である。




こうして多くの改変が行われたスコアが「原典版」として出版されているわけだが、実のところ演奏上でどの版を使っているか聴き分けることはほとんど無理だろう。何故なら演奏技術の上でこれらを「弾き分ける」ことはほとんど不可能で、注目されるべき点はどの版を使うかよりも、以前からあるブライトコプフ版などにも印刷されていたベートーヴェンのテンポを実際に採用するか否か、ということのほうがはるかに聴いている人に分かりやすいからだ。

「今度演奏する曲を、どの版で演奏したらよいですか?」という質問を受けることがよくあるが実際選択肢はそれほど広くなく、また「どの版が音楽的により作曲者の意図に近いか」ということよりも、どの版が手に入りやすいか、あるいは多くのオーケストラはどの版を所有しているであろうか、ということのほうが版を選ぶ場合により重要な基準となる。

ブランデンブルク協奏曲第3番の手稿
私自身はバッハについては上記のような読譜上の問題からある一定の、頻繁に演奏されるレパートリーについては旧全集版の、それも19世紀に出版されたブライトコプフ版のスコアを使うことが多い。






モーツアルトはある程度網羅的に出版されている方が便利で、その際に記譜の仕方がいちいち違っていると煩わしいので、新全集を使うことが多い。

ベートーヴェンは本当はヴィースバーデン版のブライトコプフが一番使いやすいのだが、最近は手に入らなかったり、オーケストラが持っていないことも多いのでベーレンライター版を使うことが多い。

このように、どの「原典版」を選ぶかは音楽的な理由よりも現実的なエネルギーをなるべく節約する方法が取られることが多い。

ブダペストでマーラーの4番を演奏した時、協会版の楽譜が手に入らず、初版のパート譜に10日位かかって手を入れて協会版と同じ音に直して演奏したが、今からしてみると大失敗であった。第一に自分がスコアを読むべき時間を大分無駄にした。第二に「初版による演奏」とことわって演奏すれば、それはそれで希少価値が高かったはずである。実はこの曲の「初版による演奏」を私は聴いたことがないし、マーラー自身によるその後の校訂をそれほど金科玉条に守る必要もなかったのである。