2009年9月5日土曜日

ウィーン少年合唱団附属小学校

長男がウィーン少年合唱団附属小学校の入試に合格した。リンツから新任カペルマイスター殿が駆けつけて特訓してくれたお陰でドイツ語の歌は上手に歌えたらしい。他に学科の試験などがあった訳ではない。


ここを薦めてくれたのは友人のシンシアだ。彼女の次男は日本で生まれたが、5歳でオーストリアに戻り翌年一旦市立の小学校に入った後このウィーン少年合唱団附属小学校に入り直した。彼は一年留年したことになるが、小学校で留年や飛び級は当たり前なので、誰もその事を恥じたりはしない。

通常こちらで子供を持つ親は1月か2月には学校を決めて、私立なら6月頃に入学試験があり、などと言う日程になっているが、うちは9月になってからアポを取って、突然入学試験に連れて行った。定員は概ね22人で既に6月に入学試験が行われていたのだが、その辺は緩やかなのだ。

子供をウィーンの小学校に入れようと考え始めたのはアメリカの脳神経学者、H.クローアンズの「失語症の国のオペラ指揮者」を読んでからだ。この本のはじめの章は「オオカミ少年」のように、幼少時から親に虐待されたり、監禁されたりして育った子供達の言語習得能力について書かれている。クローアンズは「言語を母語として獲得できるのは,概ね5歳から11歳までの間までで、その後では言語は母語として獲得された言語に〈接ぎ木された様な状態〉にしかならない」と述べている。

長男は5月生まれなので、9月始まりのウィーンの学校だと日本より8ヶ月早く学校に通い始められる。ウィーン少年合唱団にはすでに何人もの日本人の団員がいるが、そのほとんどの子は5年生から、つまり合唱団が始まる年、またはその1年前くらいからこちらに来ている。ドイツ語の特訓を受けている子もいるそうだが、私はもとより合唱団に入るかどうかはどうでも良い。日本語とドイツ語の両方を母語レベルで獲得して欲しいと言うのが私の希望だ。

日本での外国語教育は最近ようやく小学校でも取り入れられる様になってきたが、外国語習得能力の著しく低下する12、3歳から英語を教え始めるのが、ほとんどの日本人が英語で苦労する原因だ。一流と言われる大学を出ていて、外国語でのコミュニケーション能力のほとんど無い人たちを沢山見て来て、将来外国語で苦労するのは本当にバカバカしいと思う様になった。

理由はそれだけではない。私のコネクションの半分以上はヨーロッパにあって、これを将来受け継ぐことができれば子供にとっては大きな財産になる。それに自分の年齢を考えると、仮に国立であっても日本の大学に進学させるまで学費を出し続けるのは難しそうである。ドイツやオーストリアの大学なら言葉ができれば基本的にタダ同然の学費で学ぶことができる。ドイツ語がネイティブと同じレベルでできれば奨学金の申請もし易いはずだ。
とりあえずVolksschuleの4年間をオーストリアで過ごして、その間にドイツ語の基本能力を身につけてしまうことが私の希望だ。5年生から高校卒業までは日本で学校に通わせればこれまた学費は払わなくても済む。
ドイツ語と英語は方言の様なものだし、小学校1年生から英語の授業もあるので4年生までやればおまけとして英語もある程度できる様にはなるだろうし、その先がずっと楽だ。

本来語学というのは文学者にでもなるのでない限り手段であって目的ではない。しかし、大学入試の手段として膨大な時間を取って学習した英語が、その後本来のコミュニケーションの手段として役に立たないのでは仕方がない。10歳でドイツ語と英語ができる様になっていれば、中学、高校と英語のために費やさなくてはならない時間を他の学習や趣味やスポーツに振り向けられる。

功利的なことはともかく、この学校は国立公園であるAugartenの中にあって1学年1クラスの少人数制、広大な校庭に大木が立ち並び、合唱団が校舎として使っているPalais(宮殿)と小学校の校舎になっているJosefsstuckerl(皇帝ヨーゼフの別荘)がある。普通の小学校と違い午後も授業があり(なんと週に音楽の授業が7時間!)その他に楽器の個人レッスンも希望すれば受けられる。

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