2007年4月13日金曜日

絶望

自分の小ささを感じる時、私は言いしれぬ安堵を覚える。

私の先生はレッスンの時、良くカントやヘーゲルの話を始めた。私の当時のドイツ語力では、とてもすべては解らなかったが。ミサ曲やレクイエムを学んだ時は、ラテン語の歌詞を解説してくれた。最後のレッスンの日、マルクーゼの書いたワーグナーの本をもらった。マルクーゼのドイツ語は私には難解だったが「きっといつか読むように」と言われた。

別の先生は、オペラの中のセリフだけで日常生活が殆どできるほどオペラのテキストに熟知していた。

消化器外科のN先生とは何時間も芸術、文化、政治の話をした。話が弾んで気が付くと二人で日本酒を2升7合呑んでしまった事があった。先生は忙しい仕事の合間を縫ってドイツ語や英語の伝記をいくつも翻訳された。

私にはまだ学ぶ事がこれほどあるのか!私にはまだ、驚きが沢山待っているんだ!と思えるのは幸せな事だ。

若い人達が自分を越えていく時はうれしい。特に自分が教えた若者が、自分のできなかった事をできるようになった時は小気味良い。

一回りも若い教え子にドイツ語の間違いを指摘されるとかえって誇らしい気持ちになる。私がヨーロッパに無理矢理行かせた何人かが現地のオーケストラに入った時もとても嬉しかった。

自分が妙に大きく感じられる時、私には居場所がない感じがする。

日本の、世界の最高学府で学んでいる若者が私の知識や技術にとても及ばない事を見せつけられると、そして彼らの中に自分の間違いに気が付かない人がいる時、私は絶望する。

T芸術大学やT学園大学は日本の音大の最高峰だ。国立でありながら年間数十万もの学費を請求するT芸術大学、その更に数倍の学費をとっているT学園大学。そんな大学に4年間、あるいはもっと長い年月通いながら、何の知識も技術も身につけないで留学してくる人がいる。それどころか、どう考えてもまったく間違った、でたらめな教えを受けて「壊されて」行く人達が何と多い事か!

更に世界の最高峰のW国立音大に学んでいる人達の中に、MM58とMM72の差もわからない人が何と多い事か!基本的なダンスの性格、基本的な和音の進行が曲の中に感じ取れない!メトリックの概念すらない!

ナポレオン戦争とモーツアルトとどちらが先かも知らない!

シンケルやダヴィッド・フリードリッヒの絵を知らないものにウェーバーが振れるだろうか?

「○○大学」という看板に、何と人は騙されやすいのだろう!
私の門を叩いた指揮者達の中にも、自分の耳で聞けず、自分の目で見られず、自分の脳で考えられない人達が沢山いた。

そういう人に限ってほんの少し教えてあげると間もなく別れが待っている。「○○大学指揮科に入学しました」「○○大学指揮研究室に入りました」「T学園大学科目履修生になりました」云々。

本物が見抜けない人、お金を捨てて看板を買いたい人は行けば良い。でも、願わくは捨てるのはお金だけにして欲しい。貴重な時間を失い、壊されて、いつの日かどこかで出会うのはやめにして欲しい。

注:大学出て英語もろくに喋れない人は、皆さん同様に卒業証書を返納するように。

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