2006年12月15日金曜日

ワイン飲み比べ

一度やってみたかったワインの飲みくらべ。


普段はまず買わないんだけど、一本20ユーロのボルドーワイン、
しかも当たり年の2003年物と一本2ユーロのイタリアワイン、
それほどでもない年の2005年物。




結果は?

20ユーロのワイン:??????




2ユーロのワイン:普通にうまい。

いつだったか、仏伊ワイン戦争というのがあって、フランスのワイン農家がイタリアワインの自由化を阻止しようと鉄道を止めたりして大変だった。その時のフランス農業組合の代表の言葉:
イタリアワインには2つの重大な欠陥がある!一つは値段が安い事、もう一つは味がよい事だ。

今回の実験で実証されました。

2006年12月13日水曜日

著作権70年伸長について

「著作権保護期間の延長問題を考える国民会議」というのに行ってきた。

日本では現在著作者の没後50年間著作権が保護されているが、これを70年に延長しようと言う動きが出てきている。これをどう考えるかというのだ。

バッハもモーツアルトもベートーヴェンも、その遺族達も一度出版社に楽譜を売ってしまったら、その後受け取る事の無かった著作権料。

ポップスなど作られたその時に多額の宣伝費を使って流行させられる音楽の場合には、アーチストが演奏した作品は様々な媒体に載せられて売られる時、媒体を作ったり売ったりしたには利益が入る。

クラシックの場合、作られたばかりの作品を演奏してもまず利益にはならない。ストラヴィンスキーやヒンデミットを演奏する事すら演奏家にとってモーツアルトやブラームスを演奏するよりずっと勇気のいる、リスクの高いことだ。

聴衆のほとんどはストラヴィンスキーやヒンデミットよりもモーツアルトやブラームスを聴きたいと思っているので、ストラヴィンスキーやヒンデミットだけを演奏してもまず客は入らない。モーツアルトやブラームスを演奏する前にちょっとスパイスとして、あるいはプログラムに変化を持たせるため、あるいは聴衆の多くに「こんな作曲家のこんな作品もあるんですよ」というふうに、リスニングのレパートリーを広げてあげる事につながれば、という意図で、こうした作品は取りあげられる事が多い。

演奏家にとっては、前プロで取りあげた近現代の作品が、練習の時に後半の曲よりずっと手間のかかることになることもある。だったら敢えてやらなくても良いんだけど、音楽家である以上近現代の作品も取りあげようと思うのは芸術家としての良心であり、当然の欲求である(20世紀の作品なんか一切やらない人も沢山いる)。

ところが、JASRACやブージーアンドホークスは、こういう作品を演奏するなら高い著作権料を払い、一般に流通している楽譜じゃなくて高い貸し譜を使いなさいと言ってくる。

「兵士の物語」や「室内音楽」はずっとやってみたい作品だが(兵士の物語は何度かやったが)高額な著作権料や貸し譜料を払って自主公演でやっても元が取れない。必ず赤字になる。

こういう小さいアンサンブルの本番なんて著作権料や貸し譜料の分(十数万)くらいお金が残ればいい方だ。

かくして、近現代の優れた作品はなかなか演奏できない。ましてや、若い芸術家が集まって近現代の優れた作品に取り組むなどと言う事はますますできなくなっている。

日本よりも早く著作権の保護期間を延長したヨーロッパで、クラシックの著しい衰退が始まっている。モーツアルトやベートーヴェンの時代には音楽会のプログラムは作曲されたばかりの新作がほとんどだったが、今日の音楽会のプログラムはロマン派ぐらいまでのものばかりだ。現代音楽の場合は演奏すると(オーストリアでは政府から、あるいは他の国だと現代音楽関係の財団から)補助金の出る、作者存命の初演物ばかりだ。一度演奏されたら二度と日の目を見ない曲ばかりなのは言うまでもないが。

バッハもモーツアルトもその遺族も受け取れなかったお金を、マルティヌーやヒンデミットやストラヴィンスキーの遺族に、それも本人に会った事もない曾孫の世代まで払い続け、その結果作品自体が演奏される機会が減ってしまう。そんな状況が、より望ましいのだろうか?

2006年10月15日日曜日

マッケラス指揮のウィーンフィルは全席立ち見!

チャールズ・マッケラス指揮、ウィーンフィルの演奏会をコンツェルトハウス大ホールに聴きに行く。

買ったのは19ユーロの立ち見席だ。

ところでコンツェルトハウス大ホールに立ち見席なんてあったっけ?それにしても立ち見で19ユーロは高いなあ、などと思いながらコンツェルトハウスにつくと、1階中央の座席(2階席がかぶっていない部分すべて)が外して立ち見席になっていた。

ウィーンは長いけれどこんな事は初めて。

私の立っていたあたりの席は普通なら70ユーロはするだろう。

コンツェルトハウスは私営のホールだが最近実験的な企画が沢山ある。しかし、いい場所で安く聞けるなら文句を言う人はないはず。プログラムも立って聴くのが辛いほど長いものはなかった。

マッケラスは以前日本で聴いたはずだが印象は残っていなかった。しかし、なかなか良い指揮者だ。

往年のベームを彷彿とさせるようなぎこちない動きだが、全てきちんと振るあたりが先日のジョージ・プレートルと対照的だ。

最初の曲はドヴォルザークの序曲「自然の王国から」
3部作の1曲だが、盛り上がりに欠けるのであまり演奏されない。やはりエンジンがかかりきっていないようで面白くない。

2曲目はアルフレード・ブレンデルをソリストに迎えて、モーツアルトのハ短調。

ピアノの調整のせいか、私にはやたら打鍵の音がうるさく聞こえる。まるでピアノの鍵盤を叩くのと同じリズムで誰かがタップダンスをしているようだ。

余談だが、私はよく、クラリネットやファゴット、サクソフォンの演奏でもキーのカチャカチャ言う音がうるさすぎて演奏に集中できないことがある。柱時計が静かな部屋でかなり大きな音で時を刻んでいても、しばらくすると聞こえなくなることがあるが、普通は演奏している本人達はキーの音や打鍵の音は気にならないらしい。

演奏は速めで、2楽章はテンポをあまり変えずにメリハリを付けていた。巨匠の技だ。

休憩の後はコダーイの「ガランタ舞曲」とヤナーチェクのシンフォニエッタ。どちらも易しい曲ではない。

指揮は暗譜ではなかったがどちらもテンポが速く、同じようなゼクエンツが沢山続く上にテンポの変わり目も難しいので、曲が頭に入っていなければ楽譜を見ていても指揮はできない。

テンポの変わり目も実に自然に、的確に、音楽的に指揮していた。

あんなおじいちゃんが、なんでこんなにテンポの速い曲をちゃんと振れるのかは謎だ。70過ぎのF1ドライバーみたいだ。

最後のヤナーチェクは何度か聴いた曲だが、感動したのは初めて。特にフィナーレはやかましいだけの演奏が多い中、最後まで緊張感を絶やさないのは見事だ。ヤナーチェクは繰り返しのゼクエンツをどうすれば緊張感を絶やさずに自然なアゴーギクができるかが一番の課題か?

今回、1階のとても前の方でウィーンフィルを見ていて気付いたことがいくつか。

第1に、ボーイングは同じでも、同じセクションで全然違うフィンがリングで弾いている。それで(まあ完璧ではないが)とにかく良く揃って、音が解け合っている。自分の弾き方に各自が自信があるのだろう。前のプルトが移弦しているところを後ろのプルトは同じ弦で弾いたり、次の場所では逆になったりしていた。

第2に、第1ヴァイオリンは表の人が譜めくりをする。楽譜は右から左にめくるから本当は表の人がめくった方が合理的なのだが、日本では階級社会で、表を弾く人の方が偉いことになっているので、譜めくりをするのも書き込みをするのも皆裏の人だ。

誰かを「立てる」など言うことより、合理的で実際演奏上いい結果をもたらす方法を選ぶあたりは、やはり歴史から学んだことだろうか。

2006年10月7日土曜日

秋風


月曜から水曜までザルツブルクのジョージおじさんの家に行く。

月曜にウィーンからザルツブルクまで乗った24時間で15ユーロのFamiliennetzkarte(家族なら何人でも24時間オーストリア国内乗り放題)が火曜の夕方まで有効だったので、それを使って火曜にザルツカンマーグートを一周する。

ドイツやオーストリアの鉄道は、普通に乗った場合の距離あたりの運賃は日本と大差ないが、かなり恒常的にこういう激安運賃がある。ウィーン~ザルツブルク間だけ使ったとしても約7割引なので、ブレゲンツまで乗ったら9割引ぐらいだろう。よくJRのポスターに「約2割もお得」なんて書いてあると腹が立つ。


午前中は薄日が差している程度だったが、午後はかなり蒸し暑くなってきて、後で聞いたらザルツブルクでは27度もあったそうだ。

まずはハルシュタットの町まで行き、湖を渡った湖畔の町で昼食。湖の魚も食べたかったが、何だかやたら高いのでシュニッツェルとグーラッシュで我慢する。

その分はケーキで補おうとバード・イシュルのカフェ「ツァウナー」に向かうがなんと「店内清掃のため本日休業」の貼り紙。一瞬卒倒しそうになるが下の方に「閉店中はエスプラナード店もご利用下さい」と書いてあることを発見。エスプラナード店に向かう。

ケーキの後町を一周して、ザンクトヴォルフガングの町を湖の対岸に見ながらザルツブルクに戻る。

夜はジョージおじさんの手料理「七面鳥のマスタードソース掛け」を頂きました。

水曜は朝から雨が降ったりやんだりの天気だったので、早めにウィーンに戻る。翌朝テレビをつけ、オーストリア各地のパノラマライブを見ると、なんと山の方は皆雪景色!それも滑れそうに積もっている。

気温が一気に下がって秋がやってくるのがこちらの特徴。一気に下がるので紅葉など楽しんでいる暇はほとんど無く、木々の葉は色づいたと思うとすぐに茶色のくしゃくしゃになって落ちてしまう。

町には焼き栗のスタンドが増え始めた。平地に秋が来るのももうすぐだ。

2006年9月5日火曜日

プラハでのこと

その後、またプラハに行った。今年の夏は2週間チェコにいたのだが、主にいたのはオロモウツで、プラハは前回は宿泊せずに夕方オロモウツに戻り、9月2日に知人の運転する車で、オロモウツからテルチ、インドゥルジフヴ・フラデツを経由してプラハに入った。

私のコンサートを聴きにわざわざ日本から来て下さった日大の教授と奥さんを、演奏会のあとプラハに案内することが目的が、彼は20年ほど前に一度プラハに来た時にホテルやタクシーにさんざんぼったくられたらしく、チェコのイメージが極めて悪く、よく「チェコは国中がゆすりたかりだ!」などと公言するので、私もいちいちチェコの弁護をするのに大変である。

お年寄りの夫婦で、体も丈夫ではないし、オロモウツからの列車が到着するホレショヴィツェの駅から、共和国広場の近くのホテルまではタクシーか地下鉄を使うしかない。ホレショヴィツェの駅にいるタクシーはまずぼったくりだし、地下鉄も最近ホレショヴィツェが終点ではなくなってしまったので、混んでいるとスリがいないとは限らない。また、何かあってこれ以上イメージが悪くなっては、私もたまらないと、友人に頼んで車を出してもらったのだ。

プラハ市内にはいるとさすがに一方通行ばかりで、私も地図を見ながら道案内だったが、ヴァーツラフ広場を横切ろうとしたところで、警官に停止を命じられた。

「進入禁止の道路に進入したので罰金を払え、但し今すぐ払えば2000コルンのところ初犯なので1000コルンで良い」との事だった。しかし、その間にも後ろから何台もの車が入ってきて、そのうち外国ナンバーの車ばかりが止められていた。ナイトクラブの広告を車体全体に書いた映画に出てくるような巨大なリムジンが堂々と追い越していく。

1000コルンと言えばチェコ人の週給に近い金額だし、「罰金をまけてやる」などと言うのは胡散臭いが、警官と口論しても無駄なのでやむを得ず1000コルンを払ってその場を去る。

教授は「それ見た事か、あれはわざとやっているに違いない」とまた始まってしまい、運転していた友人と君と二人が見ていて標識を見落とすなんておかしい、と言うので、私たちのミスを確認するため再び現場に赴く。

すると、進入禁止の標識が、進行方向から見えないように45度ほど曲がって付いている事が分かった。これではさすがにわざとやっているとしか思えない。しかも止められていたのは外国ナンバーの車ばかりだ。

地下鉄のスリは野放しなのに、ヴァーツラフ広場には100メートルおきに警官が出て、外国ナンバーの車ばかりを止めていた。

私も今度ばかりは考えを改めるに至った。怒りにはらわたが煮えくり返った。

見えないように付いている標識を見落として、進入禁止の道に入ってくる外国ナンバーの車。運転者は道を知らないし、これはあくまで過失行為である。

それに対して地下鉄のスリ、タクシーのぼったくり、標識が曲がっているのに高額な罰金を取り立てる警官、これらは悪い事をしていると確信していながら、外国人から金を巻き上げるのに何のためらいも感じない人達だ。

かつてヒットラーは小国チェコの政府を脅して、「ドイツ系市民の保護のため」という口実のもと、6年間にわたりチェコを占領する。しかし、戦争が終わると同時にチェコ政府は、カール4世の時代から400年間にわたってチェコに住み続けてきた「ドイツ語を話すチェコ市民達」を彼らの故郷から放逐した。「今すぐに、荷物1つだけを持ってここから出ていけ!」と。

スメタナがドイツ語しか話せなかったのは有名な話だ。時代が時代ならスメタナやシュールホフもドイツに追放されていただろう(実際にはズテーテン地方のドイツ語を話すチェコ市民達はオーストリアに起源のある人が多かった)。

チェコ政府の態度は皮肉にも「ドイツ系市民の保護」が必要な事実だった事を証明してしまった。

チェコ語でドイツ人を表すネメーツとは古いスラブ語で「盲」のこと、オーストリア人を表すラコウスコとは「どもり」のことである。外国人を軽蔑し、金を巻き上げる事を恥じないチェコ人を本当に情け無いと思った。

チェコではこのような事態はもう既成事実である。チェコ人ならプラハで何が起こっているか誰でも知っている。

かつて、ドイツ人の半分がならずもののナチ党を支持した時、多くのドイツ人はナチを支持しなかったものの、それと戦おうともしなかった。

ドイツの斜陽の始まりだった。

2006年8月13日日曜日

ユーロ高と物価高

困った、困った。
またまたのユーロ高である。

2000年8月にブダペストに住んでいた時は、1ユーロが約90円だった。その時、、概ね生活に必要な家賃、食料品など、いろいろな物の値段を計算してみた。

すると、だいたい以下のような結果だった。
ウィーンの物価は概ね日本の都市部の半分
ウィーンの物価はブダペストの概ね3.5倍

従ってブダペストの物価は概ね日本の7分の1。

ユーロ導入後、あらゆる国であらゆる物が値上がりした。
バーデン・バーデンのホテル・ベーク 100マルク→110ユーロ
ミュンヘン駅の有料トイレマクリーン 50ペニッヒ→60セント
バイエルンチケット 40マルク→25ユーロ
外食(大人夕食、飲み物、デザート、チップ込み一人概ね)30マルク→25ユーロ

1ユーロは1.95マルクのはずなので、これがいかなる便乗値上げかわかると思う。それなのにユーロ自体もこの6年間で90円から150円に値上がり!

従って円で計算するとだいたいこうなる。
バーデン・バーデンのホテル・ベーク 4500円→16500円
ミュンヘン駅の有料トイレマクリーン 23円→90円
バイエルンチケット 1800円→3750円
外食(大人一人概ね)1350円→3750円
この値上がりが、ヨーロッパで生活したり旅行したりする日本人にとって以下に壊滅的かよくわかる。
もちろん、日本の自動車メーカーなどはとてもよく売れて喜んでいるだろう。

しかし、ユーロ導入まで元の通貨とユーロ換算と並記されていたのに、ドイツやオーストリアでは導入後の並記を義務づけなかった。

ドイツでは多くの商店やレストランが「マルク」と書いてあった値札を「ユーロ」につけ直しただけだった。

このような作られたインフレがサラリーマンや年金生活者を直撃したのは言うまでもない。
私はこの便乗値上げをくい止められなかったヨーロッパ各国の政府と、平気で便乗値上げしたヨーロッパ人にひどく失望した。 そもそも、言語も政体も歴史も違ういくつもの国が共通の通貨を導入するという人類初めての試みである。

スーパーマーケットが「98円!」などど言って物を売るぐらい「数字の外見のマジック」というのは人間の目をごまかすことははじめからわかっている。
いったいヨーロッパ各国はどのようなシミュレーションをしてきたのだろうか。

ユーロ紙幣は日本の紙幣に比べるとかなり粗悪品で、紙もすぐに傷んでしまうし、偽造も簡単にできるようだ。その上最高額紙幣は500ユーロ、75000円なので、すでにクロアチアなどで大量に偽造されて持ち込まれているらしい。

旧フランなどもそうだったが、やはり安っぽい紙幣ではインフレになるのも無理はない。
「インフレ圧力が強まっている」として、ヨーロッパ中央銀行は今年になってからすでに4回の政策金利の値上げをしている。これではユーロ高になるのは無理もないが、反面このことはヨーロッパの景気に暗い影を投げかけている。

ここのところの原油高はユーロ高でも追いつかないくらいだから、エネルギーの値上がりはとどまる所を知らない。その上各国の「環境税」が追い打ちをかける。

金利が上昇局面にある日本と違い、このままだとヨーロッパはインフレと不景気が同時進行するスタッグフレーションを迎えるのではないか。

その時、EU脱退を主張する各国の民族主義者達はどう反応するだろうか。
旧大陸にも未来はない。