2015年5月31日日曜日

「海外に住んでいる人が海外旅行に来た人を案内するのはすべて自腹?」

こちらも大手小町で「海外在住の皆様 そんなに迷惑ですか」というトピが立っているので少しお話します。

私は年の半分ほどをウィーンで過ごしていますが、ウィーンは観光地なので日本から観光や仕事のついでに寄っていく人や、留学準備などで訪ねてくる人が結構います。もうすでに何度も来ているから観光には付き合わなくていいので、一緒に喫茶や食事に行こうか、と言う人はまったく問題ないのですが、中にはまったく初めてなので案内してほしいという人も結構います。日本でいろいろお世話になっている方などはそういう場合も時間のあるかぎりお付き合いします。ですが、初めての方の場合は勢いシェーンブルン宮殿に始まって、ベルヴェデーレ、美術史美術館、王宮、シュテファン大聖堂などお決まりのコースになることが多いです。こうした場合、流石にもう何十回も見ていて入場料もそれなりに高いシェーンブルン宮殿など「私は前の喫茶店で待っているから中はガイドツアーで見てきてよ」って言いたいところですが、当然中まで付き合ってもらえると思っている人も多いようです。

オペラも私は通常立ち見で見に行って、もし気に入らなければ1幕を見て帰ってきてしまうこともありますが、100ユーロも出して座ってみたい人に付き合っていたら、シーズン分の予算をすぐ使い果たしてしまいます。おまけに、旅行社だったら何万円も手配料を払って、結果何倍かの値段でチケットを買うことになるのですが、日本から誰かが来るとなると何時間もパソコンの前に座って、良い公演の良いチケットがないかどうか探したり、実際チケットオフィスに買いに行ったりすることになることもあります。

オペラのチケットだけでなく、博物館や美術館、王宮などを案内した上に入場料まで払うことになり食事も外食ばかりになると、数日間滞在する人の案内をすると数百ユーロが飛ぶことになります。もちろん、その間に仕事も滞るし、勉強や練習をすることもできません。

最近、ホテルなどもBooking.comとかExpediaなどで簡単に取れるようになってきましたが、何ヶ月も前から「ホテルはどこにしたらいいでしょう?」「ルートはどうしたらいいでしょう?」と聞いてくる人もいます。仕方がないからこちらのクレジットカードで予約してあげることになったりしますが、その場合はもしドタキャンされたりすればこちらのクレジットカードからキャンセル料を取られる恐れがあります。でも、急に病気になったり身内に不幸があったり、交通機関の遅延などで旅行が予定通りできなくなった人に、自分が取られたキャンセル料を請求するのは難しい場合もあるかもしれません。ですから、よほど気心の知れた人以外は、好意でやったことがかえってトラブルのもととなる恐れがあります。

ウィーンに住んでいるともっとひどい場合「初めてプラハやブダペストに行くんだけど、一緒に行って欲しい」などというのもあります。多分ミュンヘンに住んでいる人も、一度や二度は「ノイシュバンシュタインに行くんだけど一緒に行って欲しい」などと言われたことがあるのではないでしょうか?プラハやブダペストはウィーンから日帰りで行けないこともありませんが、交通費だけで往復数十ユーロの出費になります。私は何度も付き合っていっていますが、残念ながら今まで交通費や宿泊費を出してもらったことはありません。ちなみに、私はプラハやブダペストはそれぞれ数十回行っているので、もう特に見たいところもないし、用があるといえば買い物くらいです。

プラハやブダペストは治安もウィーン程良くないし、町も複雑で初めて行った人は案内がいなければかなり時間を使わなければ効率よく回ることが難しい町です。

私は壁の開く前の1982年から何度となくプラハやブダペストに行っているので、どこが危ないかとかどう回れば主だった名所を数時間で見られるかとか、コンサートホールや楽譜屋や、美味しいレストランの場所などは概ねわかっています。ですが、これは私が30年以上にわたって自分のお金で何度も旅行して、自分の足で歩いた結果知っているのであって、知っているのが当然なことではありません。例えばブダペストなら、私は東駅に着いて30分後には一番大きな楽譜屋で楽譜を見ているし、そこに欲しい楽譜がなければ他の楽譜屋はどこにあるか、ヴァイオリンの修理屋はどこにあるか(そういう工房はアパートの一室や、狭い路地の奥の奥にあることが多くて、普通はすぐに見つけることができません)、昼はどのくらいの予算で、どのくらい空腹ならどこに行ったらいいかすぐに思いつきます。

プラハやブダペストだけでなくドイツや東欧の何十という町で、私はあてもなく何日も彷徨うことが多く、それで見つけた店や知り合った人も多いです。他人に連れられて行った場所はなかなか思い出せず、自分の財産になりません。

先日、ある大学で「若いうちに海外に行こう!」という講演会をしてきました。道がわからなかったり、言葉が通じなかったり、若いうちに海外で苦労をすることはとてもその人の財産になります。現地の日本人を当てにせずに、できるだけ長く休みをとって自分の足でいろいろなものを発見してみてはいかがでしょうか?

もし、海外在住の人に案内してもらうのであれば最低つぎのことを心がけましょう。
1.必要な物はないか事前にしっかり聞いて役に立つおみやげを持っていく。高価なものでなくてもそれはサランラップだったり、輪ゴムだったり洗濯ネットだったりする。
2.観光地を案内してもらう時には入場料やコンサートなどのチケット代、レストランなどでの食事代などは必ず自分の分だけでなく、案内してくれる人の分も出す(もちろん、うんと目上の人であるとか、経済的に明らかに格差があるなどそれはその人との関係によりますが)。
3.もし、エクスカーションなどでどこかに行く時には案内してもらう人の交通費や宿泊費を出すことはもちろん「その町にはもう何度も行ったことあるの?」と必ず聞く。もし、しょっちゅう行くような場所だったらそこは避ける。

今年の3月に指揮の弟子の藤田淳平くんが友達を連れてウィーンに来ました。私は「自分も行ったことない場所やそうとう長い間行ってない場所だったら案内するよ。そのかわり運転してね」という条件で17年ぶりのヴェネツィア、初めてのヴィツェンツァ、同じく15年ぶりな上前回ヴァイオリン博物館に入れなかったクレモナ、ズュースキントの「香水」を読んでからずっと行ってみたかったグラース、同じくずっと行ってみたかったローヌ河口のデルタ地帯、旅の途中偶然見つけた中世の城郭都市エイグ・モルトなどを堪能したのでした。こういう旅だったらいつでもOKです。

この楽しい旅行についてはまた次回!


2015年5月7日木曜日

原典版と「レコ勉」について(その2)

17世紀から20世紀中葉までの西洋のクラシック音楽の歴史を見てみると、楽譜に書かれた音楽をそのまま演奏することは、それほど一般的ではなかっただけではなく、そのようなことは演奏家の地位を低め、解釈の幅を制限してしまうものと考えられることもあった。それは、バロック全盛の頃から18世紀に至る音楽の歴史の中で、演奏家自身が大作曲家であることも多く、またイタリアバロックのように一定の装飾や即興を楽譜に加える事が演奏者の義務であった時代の名残でもあったが、バッハやハイドンが宮廷音楽家を務めていた時代と違い、19世紀の演奏家にはバロックの名手のような解釈や即興力よりも、楽譜通りに演奏する初見力と正確さが要求されるようになった。

指揮者でもあった作曲家のシュポーアは、イタリアのオーケストラが彼の作品を演奏するのを聴いて「演奏者たちがあまりに勝手に様々な装飾音を入れるので、それが自らの作品であることがわからないほどだった」と言っているが、マーラーの時代でもスコアに書かれた楽譜はそれほど重要視されず、恣意的な改変が行われたり、カットされたり、場合によっては演奏者によって書き足されたりして演奏されることが当たり前だった。マーラーは自らは改変者でありながら、ウィーンの歌劇場において行われていたこのような恣意的な改変をやめさせようとした。

ワーグナー(Richard Wagner 1813-1883)がその著書「指揮について」(Über das Dirigieren)で批判している恣意的な解釈について、ワーグナーよりも50歳年下の指揮者ワインガルトナー(Felix Weingartner 1863-1942)も同名の著書「指揮について」(Über das Dirigieren)で批判している。ワインガルトナーは主に、19世紀の最も著名な指揮者であったハンス・フォン・ビューロフ(Hans von Bülow)らの極端に誇張され、作曲者の書いたスコアの指示とはまったく無関係な解釈と、その解釈が一旦定着してしまった後に、巨匠の演奏と違う解釈で演奏することがいかに困難であるかを記している。

しかし、同じワインガルトナーが別の本「ある指揮者の提言、ベートーヴェンの交響曲について」(Ratschläge für Aufführungen Klassischer Symphonien)の中ではベートーヴェンの交響曲の中の楽器の用法、特に作曲当時の楽器の欠点やオーケストラの中でのバランスを挙げて、20世紀のオーケストラで演奏する場合にはスコアにどんな変更を加えたら良いかという提言を行っている。

こうした作曲家の書いたスコアに対する変更をリトゥーシェという(フランス語でRetouche、ドイツでもフランス語を使う。英語のレタッチ)。

実はマーラーやハンス・フォン・ビューロフをはじめとする19世紀から20世紀にかけて活躍した大指揮者たちが、作曲家の書いたスコアに様々に手を入れて「この方が良かろう」という演奏を始めた張本人たちである。また、往々にして大作曲家でもあった彼らの、そうした作品に対する「改変」は、もはやRetoucheの範囲を超えた改作であり「解釈」といえるものではない。

バロック期の巨匠たちも様々な装飾音や即興を交えて他人の曲を演奏したが、それとはまったく性質の違うものである。バロック期の大作曲家が他の作曲家の作品をどう解釈し、演奏していたかは、例えばバッハが編曲したヴィヴァルディのコンチェルトを見るとよく分かる。もちろん、バッハほどの人だから悪趣味な変更はしていないのはもちろん、作品の骨格や、和声など根本的なものを改変してしまっているケースは見受けられない。もちろん、テンポ設定については実際どんなテンポで演奏されたのかは今日では正確には分からないが、大きな変更は加えられていない。

ー続く