Palaisと呼ばれる本館 |
ドイツ語で少年合唱団のことを ”Knabenchor" 、少年少女合唱団のことを ”Kinderchor" と言うが、もし ”Knabenchor" の指導者に ”Kinderchor" などと言おうものなら、彼がひどく侮辱されたような顔で不機嫌に ”Knabenchorだ!”って言い返すことは間違いない。
”Knabenchor"のことを”Kinderchor"と言うのは歌舞伎の女形に向かって「オカマ」って言うに等しい侮辱である。なぜなら少年合唱団”Knabenchor"とは本来女人禁制の宗教音楽の世界においてソプラノとアルトを歌うために特別に訓練された「成人の歌手と同程度の技術と音楽性をもつ、超エリート少年歌手」の集団だからである。
1989年ドイツのアウクスブルク大聖堂の少年合唱団指導者であるラインハルト・カムラー氏と知り合った頃の私は、ウィーン国立音楽大学に留学していたにも関わらず、まだこの違いがよくわかっていなかった。なので、その後”Domsingknaben"と言われるこの合唱団が演奏するバッハのクリスマス・オラトリオ、ヨハネ受難曲、モーツアルトのレクイエムなどを次々と聴き、共演するに至ってそのレベルの高さに度肝を抜かれるとともに、自分の無知を深く恥じることになるのであった。
したがって、大部分の日本の聴衆や音楽ファンがウィーン少年合唱団のことをただの「世界レベルのこども合唱団」だと思っていても何の不思議もない。そして、そのウィーン少年合唱団がドイツのいくつかの少年合唱団と同じく、来日公演の際に「日本の歌」とか「オーストリア民謡」などを歌うように主催者から要請されて、プログラムのほとんどがそういう曲で組まれているのも、無理もないような気もする。
ビーバー 53声のミサ曲 |
その他にもカルダーラやハイドン、モーツアルトなどのミサ、オラトリオ、ヴェスペレ、の他そのレパートリーにはシューベルトやブルックナーのミサやモテットなども含まれる。また、マーラーの交響曲第3番や第8番のような少年合唱を含むロマン派の作品でもウィーン少年合唱団はしばしば演奏に駆り出されるのである。
なので、主催者の無知が故にウィーン少年合唱団をただのこども合唱団と勘違いし「日本の歌」とか「オーストリア民謡」を中心としたプログラムをリクエストして、聴衆もそれを「可愛いわねえ」なんて言いながら聴いているのは例えて言うならば榛名湖のまわりを走っている観光馬車をダービーに出るサラブレッドに牽かせているようなものである。
ウィーン少年合唱団はまた全寮制のボーディングスクールでもある。校舎は一番上の写真の「パレ(アウガルテン宮殿)」と呼ばれる本館を中心に、国立公園であるウィーン2区のアウガルテンの中の広大な敷地にある。オーストリアの学制は日本と違って4年間の小学校(フォルクスシューレ)の後中学校と高校を併せたような8年制の「ギムナジウム」に行くのだが、最近はドイツと違って5年生から8年生までの「ノイエ・ミッテルシューレ」と9年生から12年生までの「オーバーシュトゥーフェ」に分かれるところが多くなった。
ウィーン少年合唱団は国立公園の中にあるが学校は私立学校である。ウィーン少年合唱団には小学校(フォルクスシューレ)、全寮制の「ギムナジウム」がある。そして合唱団員となれるのは5年生以降の「ギムナジウム」の声変わりする前の生徒である。以前は声変わりするとしばらくの準備期間を置いて転校せざるを得なかったが2010年からは女子も入れる「オーバーシュトゥーフェ」が設立されて、そこに残って音楽を中心とした勉強をすることもできる。